ソゃんの暴《あば》れ方と来た日にゃ、戸は蹴《け》る、障子は破る、一度愚図り出したら容易に納まらないんだから……全く、一頃はえらかった。輝でも、節ちゃんでも困ったろうと思うよ」
「繁ちゃんでは随分泣かせられました」と言いながら、節子は極く静かに身を起して、そっと子供の側を離れた。「なにしろ、捉《つかま》えたら放さないんですもの――袖《そで》でも何でも切れちゃうんですもの」
「そうだったろうね。あの時分から見ると、繁ちゃんもいくらか物が分るように成って来たかナ」こう言う岸本の胸には、節子の姉がまだ新婚の旅に上らないで妹と一緒に子供等の世話をしていてくれたその年の夏のことが浮んで来た。二階に居て聞くと、階下《した》で繁の泣声が聞える――輝子も、節子も、一人の小さなものを持余《もてあま》しているように聞える――その度《たび》に岸本は口唇《くちびる》を噛《か》んで、二階から楼梯《はしごだん》を駆下りて来て見ると、「どうして、あんたはそう聞分けがないの」と言って、輝子は子供と一緒に泣いてしまっている――節子は節子で、泣叫ぶ子供から隠れて、障子の影で自分も泣いている――何卒《どうか》して子供を自然に育てたい、拳固《げんこ》の一つも食《くら》わせずに済むものならなるべくそんな手荒いことをせずに子供を育てたい、とそう岸本も思っても残酷な本能の力は怒なしに暴れ廻る子供を見ていられなくなる――「父さん、御免なさい、繁ちゃんはもう泣きませんから見てやって下さい」と子供の代りに詫《わ》びるように言う輝子の言葉を聞くまでは、岸本は心を休めることも出来ないのが常であった。子供が行って結婚前の島田に結った輝子に取縋《とりすが》る度に、「厭よ、厭よ、髪がこわれちまうじゃありませんか」と言ったあの輝子の言葉を岸本は胸に浮べた。「お嫁に行くんだ――やい、やい」と輝子の方に指さして言った悪戯盛《いたずらざか》りの繁の言葉を胸に浮べた。輝子が夫と一緒に遠い外国へ旅立つ前、別れを告げにその下座敷へ来た時、「それでも皆大きく成ったわねえ」と言って二人の子供をかわるがわる抱いたことを胸に浮べた。その時、節子が側に居て、「大きく成ったと言われるのがそんなに嬉しいの」と子供に言ったことを胸に浮べた。すべてこれらの過去った日の光景《ありさま》が前にあったことも後にあったことも一緒に混合《いれまざ》って、稲妻《いなずま》のように岸本の胸を通過ぎた。
「一切は園子一人の死から起ったことだ」
岸本は腹《おなか》の中でそれを言って見て、何となくがらんとした天井の下を眺め廻した。
七
母親なしにもどうにかこうにか成長して行く幼いものに就《つ》いての話は年少《としした》の子供のことから年長《としうえ》の子供のことに移って、岸本は節子や婆やを相手に兄の方の泉太の噂《うわさ》をしているところへ、丁度その泉太が屋外《そと》から入って来た。
「繁ちゃんは?」
いきなり泉太は庭口の障子の外からそれを訊《き》いた。二人一緒に遊んでいれば終《しまい》にはよく泣いたり泣かせられたりしながら、泉太が屋外からでも入って来ると、誰よりも先に弟を探した。
「泉ちゃん、皆で今あなたの噂をしていたところですよ」と婆やが言った。「そんなに屋外を飛んで歩いて寒かありませんか」
「あんな紅《あか》い頬《ほっ》ぺたをして」と節子も屋外の空気に刺激されて耳朶《みみたぶ》まで紅くして帰って来たような子供の方を見て言った。
泉太の癖として、この子供は誰にでも行って取付いた。婆やの方へ行って若い時は百姓の仕事をしたこともあるという巌畳《がんじょう》な身体へも取付けば、そこに居るか居ないか分らないほど静かな針医の娘を側に坐らせた節子の方へも行って取付いた。
「泉ちゃんのようにそう人に取付くものじゃないよ」
そういう岸本の背後《うしろ》へも来て、泉太は父親の首筋に齧《かじ》りついた。
「でも、泉ちゃんも大きく成ったねえ」と岸本が言った。「毎日見てる子供の大きくなるのは、それほど目立たないようなものだが」
「着物がもうあんなに短くなりました――」と節子も言葉を添える。
「泉ちゃんの顔を見てると、俺《おれ》はそう思うよ。よくそれでもこれまでに大きくなったものだと思うよ」と復《ま》た岸本が言った。「幼少《ちいさ》い時は弱い児だったからねえ。あの巾着頭《きんちゃくあたま》が何よりの証拠サ。この児の姉さん達の方がずっと壮健《じょうぶ》そうだった。ところが姉さん達は死んでしまって、育つかしらんと思った泉ちゃんの方がこんなに成人《しとな》って来た――分らないものだね」
「黙っといで。黙っといで」と泉太は父の言葉を遮《さえぎ》るようにした。「節ちゃん、好いことがある。お巡査《まわり》さんと兵隊さんと何方《どっち》が強い?」
こういう子供の問は節子を弱らせるばかりでなく、夏まで一緒に居た輝子をもよく弱らせたものだ。
「何方《どっち》も」と節子は姉が答えたと同じように子供に答えた。
「学校の先生と兵隊さんと何方が強い?」
「何方も」
と復《ま》た節子は答えて、そろそろ智識の明けかかって来たような子供の瞳《ひとみ》に見入っていた。
岸本は思出したように、
「こうして経《た》って見れば造作《ぞうさ》もないようなものだがね、三年の子守《こもり》はなかなかえらかった。これまでにするのが容易じゃなかった。叔母《おば》さんの亡《な》くなった時は、なにしろ一番|年長《うえ》の泉ちゃんが六歳《むっつ》にしか成らないんだからね。熱い夏の頃ではあり、汗疹《あせも》のようなものが一人に出来ると、そいつが他の子供にまで伝染《うつ》っちゃって――節ちゃんはあの時分のことをよく知らないだろうが、六歳を頭《かしら》に四人の子供に泣出された時は、一寸《ちょっと》手の着けようが無かったね。どうかすると、子供に熱が出る。夜中にお医者さまの家を叩《たた》き起しに行ったこともある。あの時分は、叔父さんもろくろく寝なかった……」
「そうでしたろうね」と節子はそれを眼で言わせた。
「あの時分から見ると、余程《よっぽど》これでも楽に成った方だよ。もう少しの辛抱だろうと思うね」
「繁ちゃんが学校へ行くようにでも成ればねえ」と節子は婆やの方を見て言った。
「どうかまあ、宜《よろ》しくお願い申します」
こう岸本は言って、節子と婆やの前に手をついてお辞儀した。
八
下座敷には箪笥《たんす》も、茶戸棚《ちゃとだな》も、長火鉢も、子供等の母親が生きていた日と殆《ほと》んど同じように置いてあった。岸本が初めて園子と世帯《しょたい》を持った頃からある記念の八角形の古い柱時計も同じ位置に掛って、真鍮《しんちゅう》の振子が同じように動いていた。園子の時代と変っているのは壁の色ぐらいのものであった。一面に子供のいたずら書きした煤《すす》けた壁が、淡黄色の明るい壁と塗りかえられたぐらいのものであった。その夏岸本は節子に、節子の姉に、泉太に、繁まで例の河岸《かし》へ誘って行って、そこから家中のものを小舟に乗せ、船宿の子息《むすこ》をも連れて一緒に水の上へ出たことがあった。それからというものは、「父さん、お舟――父さん、お舟――」と強請《ねだ》るようにする子供の声をこの下座敷でよく聞いたばかりでなく、どうかすると机は覆《ひっくりか》えされて舟の代りになり、団扇掛《うちわかけ》に長い尺度《ものさし》の結び着けたのが櫓《ろ》の代りになり、蒲団《ふとん》が舟の中の蓆莚《ござ》になり、畳の上は小さな船頭の舟|漕《こ》ぐ場所となって、塗り更《か》えたばかりの床の間の壁の上まで子供の悪戯《いたずら》した波の図なぞですっかり汚《よご》されてしまったが。
暗い仏壇には二つの位牌《いはい》が金色に光っていた。その一つは子供等の母親ので、もう一つは三人の姉達のだ。しかしその位牌の周囲《まわり》には早や塵埃《ほこり》が溜《たま》るようになった。岸本が築いた四つの墓――殊《こと》に妻の園子の墓――三年近くも彼が見つめて来たのは、その妻の墓ではあったが、しかし彼の足は実際の墓参りからは次第に遠くなった。
「叔母さんのことも大分忘れて来た――」
岸本はよくそれを節子に言って嘆息した。
丁度この下座敷の直《す》ぐ階上《うえ》に、硝子戸《ガラスど》を開ければ町につづいた家々の屋根の見える岸本の部屋があった。階下《した》に居て二階の話声はそれほどよく聞えないまでも、二階に居て階下の話声は――殊に婆やの高い声なぞは手に取るように聞える。そこへ昇って行って自分の机の前に静坐して見ると、岸本の心は絶えず階下へ行き、子供の方へ行った。彼はまだ年の若い節子を助けて、二階に居ながらでも子供の監督を忘れることが出来なかった。家のものは皆|屋外《そと》へ遊びに出し、門の戸は閉め、錠は掛けて置いて、たった独《ひと》りで二階に横に成って見るような、そうした心持には最早《もう》成れなかった。
岸本は好きな煙草《たばこ》を取出した。それを燻《ふか》し燻し園子との同棲《どうせい》の月日のことを考えて見た。
「父さん、私を信じて下さい……私を信じて下さい……」
そう言って、園子が彼の腕に顔を埋めて泣いた時の声は、まだ彼の耳の底にありありと残っていた。
岸本はその妻の一言を聞くまでに十二年も掛った。園子は豊かな家に生れた娘のようでもなく、艱難《かんなん》にもよく耐えられ、働くことも好きで、夫を幸福にするかずかずの好い性質を有《も》っていたが、しかし激しい嫉妬《しっと》を夫に味《あじわ》わせるような極く不用意なものを一緒にもって岸本の許《もと》へ嫁《かたづ》いて来た。自分はあまりに妻を見つめ過ぎた、とそう岸本が心づいた時は既に遅かった。彼は十二年もかかって、漸《ようや》く自分の妻とほんとうに心の顔を合せることが出来たように思った。そしてその一言を聞いたと思った頃は、園子はもう亡くなってしまった。
「私は自分のことを考えると、何ですか三つ離れ離れにあるような気がしてなりません――子供の時分と、学校に居た頃と、お嫁に来てからと。ほんとに子供の時分には、私は泣いてばかりいるような児でしたからねえ」
心から出たようなこの妻の残して行った言葉も、まだ岸本の耳についていた。
岸本はもう準備なしに、二度目の縁談なぞを聞くことの出来ない人に成ってしまった。独身は彼に取って女人に対する一種の復讎《ふくしゅう》を意味していた。彼は愛することをすら恐れるように成った。愛の経験はそれほど深く彼を傷《きずつ》けた。
九
書斎の壁に対《むか》いながら、岸本は思いつづけた。
「ああああ、重荷を卸した。重荷を卸した」
こんな偽りのない溜息《ためいき》が、女のさかりを思わせるような年頃で亡《な》くなった園子を惜しみ哀《かな》しむ心と一緒になって、岸本には起きて来たのであった。妻を失った当時、岸本はもう二度と同じような結婚生活を繰返すまいと考えた。両性の相剋《あいこく》するような家庭は彼を懲りさせた。彼は妻が残して置いて行った家庭をそのまま別の意味のものに変えようとした。出来ることなら、全く新規な生涯を始めたいと思った。十二年、人に連添って、七人の子を育てれば、よしその中で欠けたものが出来たにしても、人間としての奉公は相当に勤めて来たとさえ思った。彼は重荷を卸したような心持でもって、青い翡翠《ひすい》の珠《たま》のかんざしなどに残る妻の髪の香をなつかしみたかった。妻の肌身《はだみ》につけた形見の着物を寝衣《ねまき》になりとして着て見るような心持でもって、沈黙の形でよくあらわれた夫婦の間の苦しい争いを思出したかった。
岸本の眼前《めのまえ》には、石灰と粘土とで明るく深味のある淡黄色に塗り変えた、堅牢《けんろう》で簡素な感じのする壁があった。彼は早《はや》三年近くもその自分の部屋の壁を見つめてしまったことに気がついた。そしてその三年の終の方に出来た自分の労作の多くが、いずれも「退屈」の産物であることを想って見た。
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