なものでしょうか」
「そりゃ君、年をとれば取ったで、ずっと若い時分とは違った、複雑な恋愛の境地があるとは僕も考えるね。しかし、恋なんてことは最早《もう》二度と僕には来そうも無い」
 若かった日の岸本はこんな話を口にするさえ直《す》ぐ顔が紅《あか》くなった。まだ昔のように熱い涙の流れて来るようなことは有っても、彼の頬《ほお》は最早めったに染まらなかった。

        八十九

「岸本さん、僕は御願いがあって来ました」とその時になって岡が言った。「実は僕はまだ今朝から食いません」
 岸本は眼を円《まる》くして岡の方を見た。旅に来ては互に助けたり助けられたりする間柄で、こんなことはめずらしくは無かったが、あまりに率直な岡の調子が岸本を驚かした。彼はこの話好きな画家が「飢」を側《わき》に置いて、「恋」に就《つ》いて語っていたことを知った。
「岡君も有る時には有るが、無い時にはまた莫迦《ばか》に無い人だねえ」と岸本は心易《こころやす》い調子で言って笑った。「まあ、どうにかしようじゃないか。そんなら君はシモンヌの家で昼食《ひる》でもやりながら待っていてくれ給え。僕は直ぐに後から出掛けて行きますから」
 岸本の旅も足りたり、足りなかったりであった。それは高瀬のような旅とも違って、多くの月日の間には故郷の方の事情の変って行くところからも来、巴里《パリ》に来て出来るつもりの仕事がとかく果せないところからも来ていた。
「外国に来て困るのは、ほんとに困るんだからなあ」こんなことを独《ひと》りで言って見て、一歩《ひとあし》先に出て行った岡の後を追った。
 シモンヌの家へ行って見ると、例の奥まった部屋の片隅《かたすみ》には亭主から給仕まで一緒に集って、客商売の家らしく可成《かなり》遅い食卓に就ていた。シモンヌはますます可愛らしい娘になって行った。彼女は母親の傍《そば》に腰掛けて仏蘭西《フランス》の麺麭《パン》なぞを頬張《ほおば》りながら喰《く》っていた。この家族の食事するさまを楽しげに眺《なが》めながら、同じ部屋に居て岡も簡単な昼食を始めていた。そこへ岸本はいくらかの用意したものを持って行った。
 牧野、小竹の二人がこの珈琲店《コーヒーてん》に落合ってから、岡は余計に元気づいた。三人の画家の中でも、小竹が一番|年長《としうえ》で、その次が岡、牧野の年順らしかった。牧野も、小竹も、岸本に取っては国の方で名前を聞いていた人達であった。牧野には、岸本はもっと激烈な人を想像していた。逢《あ》って見た牧野は存外やさしい、綿密な、しかも気鋭な美術家であった。光沢《つや》のある頬《ほお》の色は紅味勝《あかみが》ちな髪の毛と好く調和して、一層この人を若々しく見せた。小竹には、岸本はもっと親しみ難《にく》いような人を想像していた。旅で一緒に成った小竹は直ぐにも親しめそうな、人を毛嫌《けぎら》いするところの少い美術家で、誰にでも好かれそうな沈着な性質を見せていた。二人は巴里へ来てまだ月日も浅し、旅らしい洋服までが黒い煤《すす》にも汚れずにあった。
「牧野は矢張《やっぱり》牧野だ。もっと弱ってでも来るかと思ったら、君の元気なのには感心した」と岡が言った。
「そりゃ岡なんかとは違うよ」と牧野は戯れるように。
「こうして集って見ると、矢張僕が一番|年長《うえ》かなあ」と岸本が言った。
「岸本さんなぞは、もう老人の部ですよ」と復《ま》た牧野が戯れるように言って笑った。
「でも、国の方に居るとこんなに皆《みんな》集るようなことも無いし、何と言っても旅は面白いね」と小竹が言った。「岡の贔顧《ひいき》なマドマゼエルもよく拝見したしサ――」
「とにかく旅に来ると、自分というものを省るようには成るね」と岡はやや真面目《まじめ》になって答えた。しばらく岸本はこの人達と一緒に楽しい時を送っていた。彼は、何を見聞《みきき》しても面白そうな心にわだかまりの無い牧野や小竹を羨《うらや》ましく思った。

        九十

 国の方に残して置いて来た子供のことも心に掛って、遠く離れている泉太や繁を養うためにも、岸本は果したいと思う仕事を客舎で急ごうとした。七月も下旬に入った頃であった。窓の外へは時々雷雨が来て、どうかすると日中に燈火《あかり》を欲しいほど急に部屋の内を暗くすることも有った。岸本が稿を継ごうとしたのは東京浅草の以前の書斎で書きかけた自伝の一部ともいうべきものであった。部屋に居て机に対《むか》って見ると、その稿を起した頃の心持が、まだこの旅を思立たない前に恐ろしい嵐《あらし》の身に迫って来た頃の心持が、あの浅草の二階でこれが自分の筆の執り納めであるかも知れないと思った頃の心持が、岸本の胸の中を往来した。巴里の客舎にあって、もう一度その稿を継ぐことが出来ると考えるさえ彼には不思議のようであった。
 岸本がアウストリア対セルビア宣戦の布告を読んだのは、丁度その自分の仕事に取掛っている時であった。一日は一日より何となく町々の様子がおだやかでなくなって来た。不思議な、圧《お》しつけるような、底気味の悪い沈黙は町々を支配し始めた。岸本が毎日食堂で見る顔触《かおぶれ》は、産科病院|側《わき》の旅館から通って来る柳博士に隣室の高瀬の二人で、若い独逸《ドイツ》人の客は最早《もう》見えなかった。食堂へ集る度に、高瀬等と岸本とは互いに不思議な顔を見合せるように成って行った。
 来《きた》るべき大きな出来事の破裂を暗示するような不安な空気の中で、岸本は仕事を急いだ。あのノルマンディ生れの仏蘭西の作家が「聖アントワンヌの誘惑」を起稿したのは普仏戦争の最中で、巴里の籠城《ろうじょう》中に筆を執ったとやら。丁度あの作家は五十歳でその創作を思い立ったとやら。岸本はそんなことを旅の身に想像し、国の方に居る頃から友達とよく話し合ったあの作家が四十何年か前には巴里で物を書いていたことを想像し、それによって自分を慰め励まそうとした。時々彼は執りかけた筆を置いて、部屋の窓へ行って見た。驟雨《しゅうう》のまさに来ようとする前のようなシーンとした静かさが感じられた。食堂の方へも行って見た。そこには、おそろしく倹約に暮している下宿の主婦《かみさん》が、燈火《あかり》を点《つ》け惜んで、薄暗い食堂の隅《すみ》に前途の不安を思いながらションボリ立っていた。
「岸本さん、御覧なさい、あれは何かの前兆です」
 と主婦は食堂の窓の側に立って、黄昏時《たそがれどき》の空気のために紅味勝《あかみが》ちな紫色に染まった産科病院の建築物《たてもの》を岸本に指《さ》して見せた。主婦の姪《めい》でリモオジュの田舎《いなか》の方から来ている髪の赤く縮れた娘も一緒にその窓から血の色のような夕映《ゆうやけ》を眺めた。
「戦争は避けられないかも知れませんよ」
 と言って主婦は仏蘭西人らしく肩を動《ゆす》って見せた。
 アウストリア対セルビア宣戦の日から数えて六日目頃に、漸《ようや》く岸本は国の方へ郵便で送るだけの仕事の一部を終った。日頃|往来《ゆきき》の人の多い並木街も何となく寂しく、出歩くものすら少かった。

        九十一

 平和な巴里の舞台は実に急激な勢いをもって変って行った。今日動員令が下るか明日下るかと噂《うわさ》されていた頃に、岸本は高瀬と連立って白耳義《ベルジック》行の人を北の停車場《ステーション》まで送りに行った。序《ついで》に東の停車場へも立寄って見た。その停車場内の掲示の前で、仏独国境の交通は既に断絶し、鉄道も電線も不通に成ってしまったことを知った。巴里を立退《たちの》こうとしてその停車場に群がり集る独逸人もしくは墺地利《オーストリア》人はいずれも旅装束で、構内の敷石の上へ直接《じか》に足を投出し汽車の出るのを待っていた。岸本は自分の直ぐ眼前《めのまえ》で突然卒倒しかけた労働者風の男にも遭遇《でっくわ》した。荷物をかかえた旅客、別離《わかれ》を惜む人々、泣き腫《は》らした婦人の顔などまでが時局の急を告ぐるかのように見えた。岸本は高瀬と一緒に急いで下宿の方へ引返して来て、実に容易ならぬ場合に際会したことを思った。取あえず岸本は自分の部屋に籠《こも》って、国の方の義雄兄|宛《あて》に形勢の迫って来たことを書いた。今後のことは測り難いと書いた。子供のことは何分頼むと書いた。彼は東京にある二三の友人へもいそがしく手紙を認《したた》めたが、西伯利亜《シベリア》経由とした故国からの郵便物は既にもう途絶していることをも知った。
 夕方に、町へ出て見た。彼は早や大きな戦争を予想して悲壮な感じに打たれているような市民の渦の中に立った。そこここに貼付《てんぷ》された三色旗の印刷してある動員令、大統領の諭告《ゆこく》、貨物輸出の禁止令などを読もうとする人達が、今まで鳴《なり》を潜めて沈まり返っていたような町々に満ち溢《あふ》れた。何となく殺気を帯びて来た人々の歩調も忙しげに岸本の胸を打った。夫や、兄弟や、あるいは情人の身を案じ顔な婦女《おんな》までが息をはずませてその間を往《い》ったり来たりした。
 僅《わず》か一週間ばかりの間に岸本はこんな空気の中に居た。急激な周囲の変化はあだかも舞台面の廻転によって劇の光景の一変するにも等しいものがあった。名高い社会党の首領で平和論者であった仏蘭西人が戦争の序幕の中に倒れて行ったことは一層この劇的な光景を物凄《ものすご》くした。岸本は自分の部屋へ行って独りでいろいろなことを思った。遠く故国を離れて来て図らず動乱の中に立った自分の旅の身に思い当った。夜の十一時頃には雨が降出して、窓から外に見える並木も暗かった。

        九十二

 壮丁《そうてい》という壮丁は続々国境に向いつつあった。出征する兵士の並木街を通るような光景が既に二日ばかりも続いた。早《はや》独逸軍の斥候《せっこう》が東仏蘭西の境を侵したという報知《しらせ》すら伝わっていた。下宿では主婦《かみさん》も、主婦の姪も食堂の窓のところへ行って、街路《まち》を通る歩兵の一隊を見送ろうとした。岸本が同じ窓に近く行った時は、主婦は彼の方を振向いて、
「岸本さん、争われないものじゃ有りませんか。吾家《うち》に居た若い独逸人の客が、ちゃんと戦争を知っていましたぜ。親の許《ところ》から手紙が来ると大急ぎで巴里を発《た》って行きましたぜ。確かにあの男は独探《どくたん》ですよ」
 と言いながら自分の鼻の側《そば》へ人差指を宛行《あてが》って見せた。さもさもあんな客を泊めたことを口惜しく思うかのように。
「ホラ、この町を毎日のようにうろうろした変な婦人《おんな》が有りましたろう。皆さんで『カロリイン夫人』だなんて綽名《あだな》をつけた婦人が有りましたろう。どうもあの婦人の様子がおかしいおかしいと思いました。あれは偽《うそ》の白痴ですよ。偽の婦人《おんな》ですよ。白粉《おしろい》なんかをいやに塗《つ》けてると思いましたが、今になって考えると、あれは男の顔ですよ」
 と復《ま》た主婦が言って見せた。疑心に駆《か》られたこの仏蘭西の女は自分の下宿の客ばかりでなく、町を徘徊《はいかい》した白痴の婦人までも独探にしてしまった。
 窓の外を通る兵士の群を見送った眼で主婦の姪を見ると、岸本はリモオジュの田舎《いなか》から出て来たこの娘が紅く顔を泣腫《なきはら》しているのに気がついた。彼女の兄も許婚《いいなずけ》にあたる人も共に出征の途に上るであろうと主婦が岸本に言って聞かせた。岸本は自分の部屋へ行った。列をつくって通る召集された市民の群はその窓の外に続いた。いずれも鳥打帽子を冠《かぶ》り、小荷物を提《さ》げ、仏蘭西の国歌を歌って、並木のかげに立つ婦子供《おんなこども》に別離《わかれ》の叫声を掛けては通過ぎた。一切の乗合自動車も軍用のために徴発され、モン・トオロン行の車の響も絶えた。十八歳から四十七歳までの男児は皆この戦争に参加するとのことで、それらの人達を根こそぎ持って行こうとするような大きな潮が流れ去ろうとしていた。
 巴里在留の外国人で立退きたいと思うも
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