スんと無い。まあ西洋へでも行く時か、お葬式《とむらい》の時ぐらいのものだね」
 一緒に乗込んだ加賀町は高級な官吏らしい調子で言って、窓際に立ちながら岸本の方を見た。全く、岸本に取っては生きた屍《しかばね》の葬式《とむらい》が来たにも等しかった。

        四十三

 到頭《とうとう》岸本は幼い子供等を残して置いて東京を離れた。元園町、加賀町、森川町、その他の友人は品川まで彼を見送った。代々木の友人は別れを惜んで、ともかくも鎌倉まで一緒に汽車で行こうと言出した。鎌倉には岸本を待つという一人の友人もあったからで。
 汽車は鶴見を過ぎた。しとしと降る雨は硝子窓《ガラスまど》の外を伝って流れていた。その駅にも、岸本は窓から別れを告げて行こうとした知合の人があったが、果さなかった。硝子に映ったり消えたりする駅夫も、乗降する客も、しょんぼりと小さな停車場の歩廊に立つ人も、一人として細い雨に濡《ぬ》れて見えないものは無かった。
 鎌倉で岸本を待っていたのは、信濃《しなの》の山の上に彼が七年も暮した頃からの志賀の友人で、この人の細君や、細君の叔母さんに当る人は園子の友達でもあった。この特別な親しみのある人は神戸行の途中で岸本を引留めて、小半日代々木とも一緒に話し暮したばかりでなく、別離《わかれ》の意《こころ》を尽すために鎌倉から更に箱根の塔の沢までも先立って案内して行った。旅の途中の小さな旅の楽しさ、塔の沢へ行って見る山の裾《すそ》の雪、青木や菅《すげ》や足立《あだち》などと曾《かつ》て遊んだことのある若かった日までも想い起させるような早川《はやかわ》の音、それらの忘れ難い印象が誰にも言うことの出来ない岸本の心の内部《なか》の無言な光景《ありさま》と混合《まざりあ》った。
 代々木、志賀の親しい友達を前に置いて、ある温泉宿の二階座敷で互に別れの酒を酌《く》みかわした時にも、岸本は何事《なんに》も訴えることが出来なかった。箱根の山の裾へ来て聞く深い雨とも、谷間を流れ下る早川の水勢とも、いずれとも差別のつかないような音に耳を傾けながら、岸本は僅《わずか》に言出した。
「僕もね……まあ深い溜息《ためいき》の一つも吐《つ》くつもりで出掛けて行って来ますよ……」
「そうだねえ、一切のものから離れて、溜息でも吐きたいと思う心持は僕にも有るよ」
 そういう代々木の眼は輝いていた。志賀はまた思いやりの深い調子で、岸本の方を見ながら、
「奥さんのお亡《な》くなりに成ったということから、仏蘭西あたりへお出掛けに成るようなお考えも生れて来たんでしょう」
「とにかく、一年でも二年でも、旅でゆっくり本の読めるだけでも羨《うらや》ましい。加賀町なぞも君の仏蘭西行には大分刺激されたようだ」
 と復《ま》た代々木が言って、「しばらくお別れだ」という風に岸本のために酒を注《つ》いだ。
 その日、岸本はさかんな見送りを受けて東京を発《た》って来た朝から、冷い汗の流れる思をしつづけた。余儀ない旅の思立から、身をもって僅に逃れて行こうとするような彼は、丁度捨て得るかぎりのものを捨て去って「火焔《ほのお》の家」を出るという憐《あわ》れむべき発心者《ほっしんしゃ》にも彼自身を譬《たと》えたいのであった。こうした出奔が同年配の友人等を多少なりとも刺激するということは、彼に取って実に心苦しかった。彼は何とも自身の位置を説明《ときあか》しようが無くて、以前に仙台や小諸《こもろ》へ行ったと同じ心持で巴里《パリ》の方へ出掛けて行くというに留《とど》めて置いた。
 酒に趣味を有《も》ち、旅に趣味を有つ代々木は、岸本の所望で、古い小唄を低声《ていせい》に試みた。復た何時《いつ》逢われるかと思われるような友人の口から、岸本は好きな唄の文句を聞いて、遠い旅に行く心を深くした。

        四十四

 二人の友人と連立って岸本が塔の沢を発ったのは翌日の午後であった。国府津《こうず》まで来て、そこで岸本は代々木と志賀とに別れを告げた。やがてこの友人等の顔も汽車の窓から消えた。その日の東京の新聞に出ていた新橋を出発する時の自分に関する賑《にぎや》かな記事を自分の胸に浮べながら、岸本は独《ひと》り悄然《しょうぜん》と西の方へ下って行った。
 マルセエユ行の船を神戸で待受ける日取から言うと、岸本はそれほど急いで東京を離れて来る必要も無いのであった。唯《ただ》、彼は節子の母親にどうしても合せる顔が無くて、嫂《あによめ》の上京よりも先に神戸へ急ごうとした。仮令《たとえ》彼は神戸へ行ってからの用事にかこつけて、郷里の方の嫂|宛《あて》に詫手紙《わびてがみ》を送って置いたにしても。また仮令嫂が上京の費用等は彼の方で用意することを怠らなかったとしても。
 神戸へ着いてから四五日|経《た》つと、岸本は節子からの手紙を受取った。それは岸本から出した手紙の返事として寄《よこ》したものであったが、子供等の無事なことや留守宅の用事のようなことばかりでなく、もっと彼女の心に立入ったことがその中に書いてあった。
 神戸の港町から諏訪山《すわやま》の方へ通う坂の途中に見つけた心持の好い旅館の二階座敷で、彼はその手紙を読んで見た。すくなくも節子に起って来た不思議な心の変化がその中に書きあらわしてあった。過ぐる四五箇月の間、ある時は恐怖《おそれ》をもって、ある時は強い憎《にくし》みをもって、ある時はまた親しみをもって叔父に対して来たような動揺した心の節子に比べると、その中には何となく別の節子が居た。岸本は自分の遠い旅に上って来たことから、何か急激な変化が不幸な姪《めい》の心に展《ひら》けて来たことを感じない訳にいかなかった。
 猶《なお》よくその手紙を繰返して見た。節子は岸本の方から詫《わ》びてやった一切の心持を――彼女に対して気の毒がる一切の心持を打消してよこした。今日までを考えると、どうして自分はこんなことに成って来たか、それを思うと自分ながら驚かれると書いてよこした。矢張《やっぱり》自分は誘惑に勝てなかったのだと思うと書いてよこした。しかしこの世の中には、人情の外の人情というようなものがある、それを自分は思い知るように成って来たと書いてよこした。何故《なぜ》叔父さんの手紙には、「お前さん」というような、よそよそしい言葉で自分のことを呼んでくれるか、「お前」で沢山ではないかと書いてよこした。叔父さんの新橋を発《た》つ朝、自分は高輪の家の庭先から品川の方に起る汽車の音を聞いて、あの音が遠く聞えなくなるまで何時までも同じところにボンヤリ佇立《たたず》んでいたと書いてよこした。叔父さんの残して行った本箱、叔父さんの残して行った机、何一つとして叔父さんのことを想い起させないものは無い、自分は今机や本箱の置いてある部屋を歩いて見ていると書いてよこした。叔父さんが外遊の決心を聞いてから、自分はかずかずの話したいと思うことを有《も》っていたが、どうしてもそれが自分には出来なかったとも書いてよこした。

        四十五

 節子の手紙を手にして見ると、彼女と共に恐怖を分ち、彼女と共に苦悩を分った時の心持はまだ岸本から離れなかった。
「ああ、酷《ひど》かった。酷かった」
 岸本はそれを言って見て周囲《あたり》を見廻した。親戚《しんせき》も、友人も、二人の子供も最早彼の側には居なかった。唯一人の自分を神戸の宿屋に見つけた。彼は漸《ようや》くのことでその港まで落ちのびることの出来た嵐《あらし》の烈《はげ》しさを想って見て、思わずホッと息を吐《つ》いた。
 いかに節子の方から打消してよこそうとも、彼女の一生を過《あやま》らせ、同時に拭《ぬぐ》いがたい汚点を自身の生涯に留めてしまったような、深い悔恨の念は岸本の胸を去るべくもなかった。その日まで彼が節子のために心配し、出来るだけ彼女をいたわり、留守中のことまで彼女のために考えて置いて来たというのは、どうかして彼女を破滅から救いたいと思うからであった。頑《かたくな》な心の彼は節子から言ってよこしたことに就《つ》いては、何事《なんに》も答えまいと考えた。
 四月に入って節子は母の上京を知らせてよこした。岸本は胸を震わせながらその手紙を読んで見て、彼女の母と祖母とまだ幼い弟とが無事に高輪《たかなわ》へ着いたことを知った。節子の一人ある弟は丁度岸本の二番目の子供と同年ぐらいであった。郷里《くに》から家を畳んで出て来たそれらの家族を節子は品川の停車場まで迎えに行ったことを書いてよこした。母も年をとった、と彼女は書いてよこした。年老いた祖母や母を眼《ま》のあたりに見るにつけても自分は余程《よほど》しっかりしなければ成らないと思うと書いてよこした。過ぐる月日の間、自分に附纏《つきまと》う暗い影は一日も自分から離れることが無かったが、今はその暗い影も離れたと書いてよこした。そして自分は年寄や子供のために、もっと働かねば成らないと思って来たと書いてよこした。
 この節子の手紙には岸本の身に浸《し》みるような、かずかずの細《こまか》いことが書いてあった。その中には、女らしい彼女の性質までもよく表れていた。岸本は、普通の身《からだ》でない彼女が上京した母親と一緒に成った時のことを胸に描いて見た。その時の彼女の小さな胸の震えを、何時でも割合に冷静を失うことのない彼女の態度を――何もかも、岸本はありありと想像で見ることが出来た。あの嫂が高輪の留守宅を見た時は、あの嫂が節子と子供を残して置いて海の外へ行こうとする自分の意味を読んだ時は、それを考えると岸本は自分の顔から火の出るような思いをした。
 神戸へ来て、是非とも岸本の為《し》なければ成らないことは、名古屋に滞在する義雄兄へ宛《あ》てた書きにくい手紙を書くことであった。彼はその一通を残して置いて独りで船に乗ろうとした。幾度《いくたび》か彼は節子のことを兄に依頼して行くつもりで、紙をひろげて見た。その度に筆を捨てて嘆息してしまった。
 東京の方にあるクック会社の支店からは、岸本が約束して置いて来た仏蘭西船の切符に添えて、船床の番号までも通知して来た。宿屋の二階座敷から廊下のところへ出て見ると、神戸の港の一部が坂になった町の高い位置から望まれた。これから出て行こうとする青い光った海も彼の眼にあった。

        四十六

「名古屋から岸本さんという方が御見えでございます」
 宿屋の女中が岸本のところへ告げに来た。丁度彼はインフルエンザの気味で、神戸を去る前に多少なりとも書いて置いて行きたいと思う自伝の一節も稿を続《つ》げないでいるところであった。義雄兄の来訪と聞いて、急いで彼は寝衣《ねまき》の上に羽織を重ねた。敷いてある床も部屋の隅《すみ》へ押しやった。もしもインフルエンザの気味ででもなかったら、隠しようの無いほど彼の顔色は急に蒼《あお》ざめた。義雄兄は岸本の出発前に名古屋から彼を見に来たのであった。
「弟が外国へ行くというのに、手紙で御別れも酷《ひど》いと思ってね。それに神戸には用事の都合もあったし、一寸《ちょっと》やって来た」
 こうした兄の言葉を聞くまでは岸本は安心しなかった。
「や――時に、引越も無事に済んだ。一軒の家を動かすとなるとなかなか荷物もあるもんだよ。貴様の方からの注意もあったし、まあ大抵の物は郷里の方へ預けることにして、要《い》る物だけを荷造りして送った。俺《おれ》も名古屋から出掛けて行ってね。すっかり郷里の方の家を片付けて来た。『捨様《すてさま》も外国の方へ行かっせるッて――子供を置いて、よくそれでも思切って出掛る気に成らッせいたものだ』なんて、田舎《いなか》の者が言うから、人間はそれくらいの勇気がなけりゃ駄目だッて俺がそう言ってやった」
 義雄は相変らずの元気な調子で話した。次第に岸本の頭は下って行った。彼は兄の言うことを聞きながら自分の掌《てのひら》を眺めていた。
「俺の家でも皆東京へ出ると言うんで、村のものが送別会なぞをしてくれたよ。嘉代《かよ》(節子の母)もね、なんだか気の弱いことを言ってるから、そんなことじゃダチカン
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