qを失った後二度と同じような結婚生活を繰返すまいと思っていた彼は、出来ることなら全く新規な生涯を始めたいと願っていた彼は、独身そのものを異性に対する一種の復讎《ふくしゅう》とまで考えていた彼は、日頃|煩《わずら》わしく思う女のために――しかも一人の小さな姪のために、こうした暗いところへ落ちて行く自分の運命を実に心外にも腹立しくも思った。
 思いもよらない悲しい思想《かんがえ》があだかも閃光《せんこう》のように岸本の頭脳《あたま》の内部《なか》を通過ぎた。彼は我と我身を殺すことによって、犯した罪を謝し、後事を節子の両親にでも托《たく》そうかと考えるように成った。近い血族の結婚が法律の禁ずるところであるばかりで無く、もしもこうした自分の行いが猶《なお》かつそれに触れるようなものであるならば、彼は進んで処罰を受けたいとさえ考えた。何故というに、彼は世の多くの罪人が、無慈悲な社会の嘲笑《ちょうしょう》の石に打たるるよりも、むしろ冷やかに厳粛《おごそか》な法律の鞭《むち》を甘受しようとする、その傷《いた》ましい心持に同感することが出来たからである。部屋には青い蓋《かさ》の洋燈《ランプ》がしょんぼ
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