ン本は言って、もしもの場合には自分の庶子《しょし》として届けても可いというようなことを節子に話した。
「庶子ですか」
 と節子はすこし顔を紅《あか》めた。
 不幸な姪《めい》を慰めるために、岸本はそんな将来の戸籍のことなぞまで言出したもののその戸籍面の母親の名は――そこまで押詰めて考えて行くと到底そんなことは行われそうも無かった。これから幾月の間、いかに彼女を保護し、いかに彼女を安全な位置に置き得るであろうか。つくづく彼は節子の思い悩んでいることが、彼女に取っての致命傷にも等しいことを感じた。
 岸本は町へ出て行った。節子のために女の血を温め調《ととの》えるという煎《せん》じ薬を買求めて来た。
「もっとお前も自分の身体《からだ》を大切にしなくちゃいけないよ」
 と言って、その薬の袋を節子に渡してやった。
 夜が来た。岸本は自分の書斎へ上って行って、独《ひと》りで机に対《むか》って見た。あの河岸《かし》に流れ着いた若い女の死体のことなぞが妙に意地悪く彼の胸に浮んで来た。
「節ちゃんはああいう人だから、ひょっとすると死ぬかも知れない」
 この考えほど岸本の心を暗くするものは無かった。妻の園
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