關ワ《たを》ろか
  ぬしなきはなを、
  何のさら/\/\、
  更に恋は曲者《くせもの》」

 元園町の友人の側に居て、この唄を聞いていると、情慾のために苦み悩んだような男や女のことがそれからそれと岸本の胸に引出されて行った。
「元園町の先生は好い顔色におなんなすった」と年嵩《としかさ》の方の女中が言った。
「君の酒は好い酒だ」と岸本も友人の方を見た。
「岸本先生は真実《ほんと》に御酔いなすったということが御有んなさらないでしょう」と髪の薄い女中は二人の客の顔を見比べて、「先生のは御酒もそう召上らず、御遊びもなさらず、まさか先生だって女嫌《おんなぎら》いだという訳でもございますまいが――」
「先生は若い姉さん達を並べて置いて、唯《ただ》眺《なが》めてばかりいらっしゃる」と年嵩な方が引取って笑った。
「しかし、私は何時《いつ》までも先生にそうしていて頂《いただ》きたいと思います」と復《ま》た髪の薄い方の女中が言った。「先生だけはどうかして堕落させたくないと思います」
「私だって弱い人間ですよ」と岸本が言った。
「いえ、手前共のようなところへもこうして御贔屓《ごひいき》にしていらしって
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