ルど逢わねば成らないような客をその二階に避け、諸方《ほうぼう》から貰った手紙を一まとめにして持って来て、半日独りで読み暮すこともあった。彼は自分と全く生立《おいた》ちを異にしたような人達と話すことを好む方で、そこに奉公する女達のさまざまな身上話に耳を傾け、そこに集る年老た客や年若な客の噂に耳を傾け、時には芸で身を立てようとする娘達ばかりを自分の周囲《まわり》に集め、彼等の若い恋を語らせて、それを聞くのを楽みとしたこともあった。一生舞台の上で花を咲かせる時もなく老朽ちてしまったような俳優がその座敷の床の間の花を活《い》けるために、もう何年となく通って来ているということまで岸本は知っていた。
「岸本さんに御酌しないか」と元園町は傍《そば》にいる女を顧みて言った。
「今お熱いのを持って参ります」
と言いながら女中はそこにある徳利を持添えて岸本に酒を勧めた。
「ああああ、久しぶりでこういうところへやって来た」
岸本は独語のようにそれを言って、酒の香を嗅《か》いで見た。
十八
元園町は岸本の前に居た。しかも岸本がそんな深傷《ふかで》を負っていようとは知らずに酒を飲んでい
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