「た。岸本にはそれが無かった。中野の友人には朝に晩にかしずく好い細君があった。岸本にはそれも無かった。彼の妻は七人目の女の児を産むと同時に産後の激しい出血で亡《な》くなった。
山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日が経《た》った。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛する甥《おい》の死。彼のたましいは揺《ゆすぶ》られ通しに揺られた。ずっと以前に岸本もまだ若く友人も皆な若かった頃に、彼には青木という友人があったが、青木は中野の友人なぞを知らないで早く亡くなった。あの青木の亡くなった年から数えると、岸本は十七年も余計に生き延びた。そして彼の近い周囲にあったもので、滅びるものは滅びて行ってしまい、次第に独《ひと》りぼっちの身と成って行った。
三
まだ新しい記憶として岸本の胸に上って来る一つの光景があった。続きに続いた親しいものの死から散々に脅《おびやか》された彼は復《ま》たしてもその光景によって否応《いやおう》なしに見せつけられたと思うものがあった。それは会葬者の一人として麹町《こうじまち》の
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