ウは雪よりも滋《しげ》くて切ない趣がある。それとは反対に霜どけの土の色の深さは初夏の雨上りよりも快濶《かいかつ》である。またほろほろになった苔《こけ》が霜どけに潤って朝の日に照らさるる時、大地の色彩の美は殆《ほとん》ど頂点に達するのである。この時の苔の緑は如何《いか》なる種類の緑よりも鮮《あざや》かで生気がある。あだかも緑玉を砕いて棄《す》てたようである。またあだかも印象派の画布《カンバス》を見るようでもある。僕はわびしい冬の幻相の中で、こんな美しい緑に出会おうとも思いがけなかったのである。僕の魂も肉もかかる幻相の美に囚《とら》われている刹那《せつな》、如幻の生も楽しく、夢の浮世も宝玉のように愛惜せられるのである。然しながら自然の幻相は何等の努力の発現でないのと等しく、その幻相の完全な領略はまた何等の努力をも待たないものである。夢をして夢と過ぎしめよ……」
 芸術的生活と宗教的生活との融合を試みようとしているような中野の友人には、相応な資産と倹約な習慣とを遺《のこ》して置いて行った父親があって、この手紙にもよくあらわれている静寂な沈黙を味《あじわ》い得るほどの余裕というものが与えられて
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