ン本が別に多くの女の中から択《えら》んだでも何でもない自分の姪と一緒に苦しまねば成らないような位置に立たせられて行った。節子は重い石の下から僅《わずか》に頭を持上げた若草のような娘であった。曾《かつ》て愛したこともなく愛されたこともないような娘であった。特に岸本の心を誘惑すべき何物をも彼女は有《も》たなかった。唯《ただ》叔父を頼りにし、叔父を力にする娘らしさのみがあった。何という「生」の皮肉だろう。四人の幼い子供を残した自分の妻の死をそう軽々しくも考えたくないばかりに三年一つの墓を見つめて来た岸本は、あべこべにその死の力から踏みにじられるような心持を起して来た。しかも、極《きわ》めて残酷に。
「父さん。これ、朝?」
 と繁が岸本のところへ来て、大きな子供らしい眼で父の顔を見上げて言った。繁はよく「これ、朝?」とか、「これ、晩?」とか聞いた。
「ああ朝だよ。これが朝だよ。一つねんねして起きるだろう、そうするとこれが朝だ」
 岸本は言いきかせて、まだ朝晩の区別もはっきり分らないような幼いものを一寸《ちょっと》抱いて見た。
 節子の様子をよく見るために岸本は勝手に近い小部屋の方へ行った。用事
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