閧クに書斎の次の間から寝道具なぞを取出して来た。それを部屋の片隅《かたすみ》によせて壁に近く敷いた。
「やっぱり疝《せん》の気味でごわしょう。こうした陽気では冷込みますからナ」と言いながら針医は手にした針術《しんじゅつ》の道具を持って岸本の側へ寄った。
 ぷんとしたアルコオルの香が岸本の鼻へ来た。背を向けて横に成った岸本は針医のすることを見ることは出来なかったが、アルコオルで拭《ぬぐ》われた後の快さを自分の背の皮膚で感じた。やがて針医の揉込《もみこ》む針は頸《くび》の真中あたりへ入り、肩へ入り、背骨の両側へも入った。
「痛《いた》」
 思わず岸本は声をあげて叫ぶこともあった。しかし一番長そうに思われる細い金針《きんばり》が腰骨の両側あたりへ深く入って、ズキズキと病める部分に触れて行った時は、睡気《ねむけ》を催すほどの快感がその針の微《かす》かな震動から伝わって来た。彼は針医に頼んで、思うさま腰の疼痛《いたみ》を打たせた。
「自分はもう駄目かしら」
 針医の行った後で、岸本は独りで言って見た。手術後の楽しく激しい疲労から、長いこと彼は死んだように壁の側に横になっていた。部屋の雨戸の外へは
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