、ね」と節子はそれを眼で言わせた。
「あの時分から見ると、余程《よっぽど》これでも楽に成った方だよ。もう少しの辛抱だろうと思うね」
「繁ちゃんが学校へ行くようにでも成ればねえ」と節子は婆やの方を見て言った。
「どうかまあ、宜《よろ》しくお願い申します」
こう岸本は言って、節子と婆やの前に手をついてお辞儀した。
八
下座敷には箪笥《たんす》も、茶戸棚《ちゃとだな》も、長火鉢も、子供等の母親が生きていた日と殆《ほと》んど同じように置いてあった。岸本が初めて園子と世帯《しょたい》を持った頃からある記念の八角形の古い柱時計も同じ位置に掛って、真鍮《しんちゅう》の振子が同じように動いていた。園子の時代と変っているのは壁の色ぐらいのものであった。一面に子供のいたずら書きした煤《すす》けた壁が、淡黄色の明るい壁と塗りかえられたぐらいのものであった。その夏岸本は節子に、節子の姉に、泉太に、繁まで例の河岸《かし》へ誘って行って、そこから家中のものを小舟に乗せ、船宿の子息《むすこ》をも連れて一緒に水の上へ出たことがあった。それからというものは、「父さん、お舟――父さん、お舟――」と
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