@曾《かつ》てその青年から貰った葉書の中に、「あの柳並木のかげには石がございましょう」と書いてあった文句が妙に岸本の頭に残っていた。岸本はそれらしい石の側に立って、浅草橋の下の方から寒そうに流れて来る掘割の水を眺めながら、十八九ばかりに成ろうかとも思われる年頃の未知の青年を胸に描いて見た。曾て頬《ほお》へ触れるまでに低く垂《た》れ下った枝葉の青い香を嗅《か》いだ時は何故とも知らぬ懐《なつ》かしさに胸を踴《おど》らせたというその青年を胸に描いて見た。曾てその石に腰を掛け、膝《ひざ》の上に頬杖《ほおづえ》という形で、岸本がそこを歩く時のことをさまざまに想像したというその青年を胸に描いて見た。
 これほど若々しい心を寄せられた自分は、堪《た》え難いような哀愁を訴えられた自分は、互いに手紙を書きかわすというだけでも何等《なんら》かの力に思われた自分は――そこまで考えて行った時は、岸本はその石の側にも立っていられなかった。
 例の柳並木――そこにはもう青年は来なくなったらしい。以前と同じように歩きに来る岸本だけが残った。

        二

 青年が去った後の河岸には、二人の心を結び着けた柳
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