タ木も枯々としていた。岸本の心は静かではなかった。三年近い岸本の独身は決して彼の心を静かにさせては置かなかった。「お前はどうするつもりだ。何時《いつ》までお前はそうして独《ひと》りで暮しているつもりだ。お前の沈黙、お前の労苦には一体何の意味があるのだ。お前の独身は人の噂《うわさ》にまで上《のぼ》っているではないか」こう他《ひと》から言われることがあっても、彼は何と言って答えて可《い》いかを知らなかった。ある時は彼は北海道の曠野《こうや》に立つという寂しいトラピストの修道院に自分の部屋を譬《たと》えて見たこともある。先《ま》ず自己の墓を築いて置いて粗衣粗食で激しく労働しつつ無言の行をやるというあの修道院の内の僧侶《ぼうさん》達に自分の身を譬えて見たこともある。「自分はもう考えまいと思うけれども、どうしても考えずにはいられない」と言った人もあったとやら。岸本が矢張それだ。唯《ただ》彼は考えつづけて来た。
 河岸の船宿の前には石垣の近くに寄せて繋《つな》いである三四|艘《そう》の小舟も見えた。岸本はつくづく澱《よど》み果てた自分の生活の恐ろしさから遁《のが》れようとして、二夏ばかり熱心に小舟
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