ス。彼は中野の友人に自分を比べて、こんな風に言って見たこともある。友人のは生々とした寛《くつろ》いだ沈黙で、自分のは死んだ沈黙であると。その死んだ沈黙で、彼は自分の身に襲い迫って来るような強い嵐《あらし》を待受けた。
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第一巻
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一
神田川の川口から二三町と離れていない家の二階を降りて、岸本は日頃歩くことを楽みにする河岸《かし》へ出た。そして非常に静かにその河岸を歩いた。あだかも自分の部屋のつい外にある長い廊下でも歩いて見るように。
その河岸へ来る度《たび》に、釣船屋《つりぶねや》米穀の問屋もしくは閑雅な市人の住宅が柳並木を隔てて水に臨んでいるのを見る度に、きまりで岸本は胸に浮べる一人の未知な青年があった。ふとしたことから岸本はその青年からの手紙を貰《もら》って、彼が歩くことを楽みにする柳並木のかげは矢張《やはり》その青年が幾年となく好んで往来する場所であったことを知った。二人は互いに顔を合せたことも無いが、同じ好きな場所を見つけたということだけでは不思議に一致していた。それから青年は岸本に逢《あ》いたいと言
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