@生存の測りがたさ。曾《かつ》て岸本が妻子を引連れて山を下りようとした頃にこうした重い澱《よど》んだものが一生の旅の途中で自分を待受けようとは、どうして思いがけよう。中野の友人にやって来たというような倦怠は、彼にもやって来た。曾て彼の精神を高めたような幾多の美しい生活を送った人達のことも、皆|空虚《うつろ》のように成ってしまった。彼はほとほと生活の興味をすら失いかけた。日がな一日|侘《わび》しい単調な物音が自分の部屋の障子に響いて来たり、果しもないような寂寞《せきばく》に閉《とざ》される思いをしたりして、しばらくもう人も訪《たず》ねず、冷い壁を見つめたまま坐ったきりの人のように成ってしまった。これはそもそも過度な労作の結果か、半生を通してめぐりにめぐった原因の無い憂鬱《ゆううつ》の結果か、それとも母親のない幼い子供等を控えて三年近くの苦艱《くかん》と戦った結果か、いずれとも彼には言うことが出来なかった。
 中野の友人から貰った手紙の終《しまい》の方には、こんな事も書いてある。
「岸本君、僕はもう黙して可《い》い頃であろう。倦怠と懶惰《らんだ》は僕が僕自身に還《かえ》るのを待っている。眼
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