「だよ」
足立の部屋に菅と集まって見て、岸本はそこにも不思議な沈黙が旧い馴染《なじみ》の三人を支配していることを感じたのであった。それほど隔ての無い仲間同志にあっても、それほど喋舌《しゃべ》ったり笑ったりしても、互いに心《しん》が黙っていた。
「どうしてもこのままじゃ、僕には死に切れない」
岸本はまた、それを言わずにいられなかった。
これらの談話の記憶、これらの光景の記憶、これらの出来事の記憶、これらの心の経験の記憶――すべては岸本に取って生々しいほど新しかった。何かにつけて彼は自分の一生の危機が近づいたと思わせるような、ある忌《いまわ》しい予感に脅されるように成った。
五
学友の死を思いつづけながら、神田川に添うて足立の家の方から帰って来た車の上も、岸本には忘れがたい記憶の一つとして残っていた。古代の人が言った地水火風というようなことまで、しきりと彼の想像に上って来たのも、あの車の上であった。火か、水か、土か、何かこう迷信に近いほどの熱意をもって生々しく元始的な自然の刺激に触れて見たら、あるいは自分を救うことが出来ようかと考えたのも、あの車の上であった。
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