n来した古い金糸の繍《ぬい》のある布で造ってあるのに気がついた。瘠《や》せぎすな身体に古雅な黒い仏蘭西風の衣裳《いしょう》を着けた老婦人は岸本に見せるものを探すために時々部屋の内を歩いたり、時には奥の方へ立って行ったりしたが、その部屋にあるものは何一つとして遠い異国に対する憧憬《あこがれ》の心を語っていないものは無かった。こういう老婦人の姪に、異国趣味そのものとも言いたいマドマゼエルのような人が生れたのも決して不思議は無いと岸本は想って見た。
「これが忰の家内です」
と老婦人はそこへ着物を着更《きか》えて挨拶《あいさつ》に来た細君を岸本に引合せた。
主人の帰りを待つ間、三人の話は東京の方にあるマドマゼエルの噂で持切った。細君はマドマゼエルが絵画にも趣味を有《も》つことを話して、まだ仏蘭西に居る頃に彼女が描いたという油絵の額の前へも岸本を連れて行って見せ、彼女が残して置いて行ったという写真なぞをも取出して来た。
「マドマゼエルは仏蘭西に居る頃《ころ》から人に頼みまして、日本の髪に結ったこともありましたよ。それほど日本好でしたよ」
仏蘭西語まじりに細君が言おうとすることを老婦人は英語で補った。老婦人は岸本に向って、自分は曾《かつ》て倫敦《ロンドン》に住んだことが有るという話や、そのために自分は家中で一番よく英語が話せる、娵《よめ》はあまり話せないが忰の方はすこしは話せて好都合であるということなぞや、自分等の家族は以前は巴里の市中に住んだがこのビヨンクウルに住居を卜《ぼく》して引移って来たということや、この家屋《いえ》もなかなか安くは求められなかったというようなことまで、いかにも心安い調子で話した。
「もう忰も見えそうなものです」と言う老婦人や細君に誘われながら、岸本は一緒に入口の廊下から石の階段を下りて庭を歩いた。門の外へも出て見た。清いセエヌ河の水は並木の続いた低い岸の下を流れていた。郊外らしい空気につつまれた対岸の傾斜には、ところどころに別荘風な赤瓦《あかがわら》の屋根も望まれた。
細君の案内で、岸本は裏庭の方へも廻って、果樹、野菜なぞを見て歩いた。「今年はこんなに葱《ねぎ》を造りました」なぞと岸本に言って聞かせる細君はいろいろ話そうとしてはそれが英語で浮んで来ないという風であった。日の映《あた》った梨《なし》の樹《き》の下で、岸本は二人の子供を遊ばせている乳母《うば》にも逢った。
「日本の方だよ」
と細君に言われて、二人の子供は気味悪そうに岸本の方へ近づいた。そしてかわるがわる小さな手を差出した。岸本はそれらの幼い人達の手を握りしめたが、子供に話しかけたいにも仏蘭西の言葉ではまだ物が言えなかった。
「私も国の方へ子供を残して来ました」
この岸本の英語はまた細君にはよく通じなかった。
人の好さそうな細君はその家を囲繞《とりま》く庭や畠《はたけ》ばかりでなく、家の入口から奥の方へ続いた廊下の両側に掛けてある種々な肖像の額の前へ、二階にある主人の書斎へ、子供の部屋へ、終《しまい》には寝室へまで岸本を連れて行って見せた。丁度そこへ主人が帰って来た。
六十
その家の主人とは岸本は既に図書館の方で親《ちか》づきに成っていた。主人が帰った頃は夕飯の仕度《したく》が出来ていて、岸本は樹木の多い庭に臨んだ食堂の方へ案内された。
「夏の間、私共はよくこの窓の外で食事することもあります」
という老婦人の話なぞを聞きながら岸本は主人と細君と四人して食卓を囲んだ。
「何にもお構い申しません。私共でも何時《いつ》でもこの通りです」
と細君は款待顔《もてなしがお》に言った。
「岸本さんのようにわざわざ日本から仏蘭西へお出掛下さる方もあり――」と言って老婦人は自分の子息《むすこ》と岸本の顔を見比べて、「そうかと思うと姪のように、仏蘭西から日本の方へ行ってしまうのもあります」
その時岸本は国の方から茶や椿《つばき》の種を持って来たことを言出した。誰か専門家に頼んで旅の記念に植えて見て貰いたいと話した。
「岸本さんは何をお持ちに成ったと言うのかい」と老婦人は主人に言って、やがて岸本の方を見て、「私は耳が遠くなって時々お話の聞取れないことが有ります」
「種」と主人は大きな声で言って見せて笑った。
食後に岸本は持って来た風呂敷包を取出した。その中からは銀杏《いちょう》、椿、山茶花《さざんか》、藤、肉桂《にくけい》、沈丁花《じんちょうげ》なぞの実も出て来た。
老婦人は岸本に向って、東京にある姪から仏蘭西大学の教授の許《もと》へも彼を紹介してよこしたことを話して、これから忰夫婦が案内する、丁度教授の家には茶の会がある、一緒に行ってあの好い家族とも親《ちか》づきに成れと言った。
「念のために御話して置きますが、教授は当地でも
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