捨吉様
心からの信頼をもって遠い旅に上る身の幸《さち》を思い、そのよろこびをここに残してまいります」
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節子が谷中から送ってよこしたこの手紙が岸本の許《もと》に届いた。最早彼女が東京を出発するという十一月の朔日《ついたち》も来た。岸本はこの手紙を繰返し読んで見て、彼女と共に送った年月の間のことを振返って見る気に成った。丁度あの夕方の小枝《こえだ》に集まるがやがやとした鳥の声が沈まって行って一番最後に残るものは唯《ただ》一つの小鳥の声であったという歌の文句のように、泣いたり笑ったりしたことも沈まって行って、愛のまことだけが残る時も来るだろう。こう岸本は考えて、自分の小さな智慧《ちえ》や力でどうすることも出来ないような「生命《いのち》」の趨《おもむ》くままに一切を委《ゆだ》ねようとした。
岸本は節子から別に送り届けて来た小包を開けて見た。彼女が預かって置いてくれという風呂敷包の中のものは他の品でもなかった。それは彼女の手箱であった。その中からは高輪《たかなわ》時代の形見らしい朝顔の押花も出て来たし、例の男の児の人形も出て来た。彼女が日頃の心やりとしたもの、何となく香《におい》の残ったもの、そういうものがそっくり入れてあった。何時の間にか彼女は岸本の古い写真をも集めていたと見え、少年の時から青年の頃へかけての面影が幾枚となくその中から出て来た。その手箱の底には岸本の写真と彼女自身のとを合せて納《しま》って置くような女らしいこともしてあった。しかし、岸本の心を引いたのは一陽斎|豊国《とよくに》の筆とした一枚の古い錦絵《にしきえ》であった。岸本の未だ見たことのない図で、三十六句選の一つに見立てて昔の婦人の姿をあらわしたものであった。彼女は閨《ねや》の中のかなしみをも隠さずに、その古い錦絵に寄せた彼女の女らしい心を残して置いて行こうとしていた。どういう機会で人の目に触れないともかぎらないからと言ってよこしたその手箱の中には、岸本から送った手紙や葉書のほんの用事を書いたようなものまで大切にして入れてあったが、唯|珠数《ずず》だけが無かった。岸本はあの思慕のしるしとして彼の方から送ったものだけを節子が旅に持って行くことを知った。
午過《ひるすぎ》の日は新しい住居《すまい》の二階の部屋に満ちた。東北《ひがしきた》に開けた窓の外には、細くてしかも勁《つよ
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