雄兄をも、それを聞いて余程《よほど》何か言おうかとは思ったが我慢したという節子をも想像することが出来た。
「けれども、女の伝道師などにも一種の型がございますね。ああいうのは私もあんまり好きではございません。外観から申しましても私の好きなのは、所謂《いわゆる》上品から野暮を捨て、意気から下品を捨てたものでございますから」
こんなことを節子は手紙の中に書いてよこすこともあった。
何故宗教の話なぞが谷中の家で出るかというに、言うまでもなく節子の志すところがそこにあるからだ。身内のものの中から宗教の方面に人を送るというのも床《ゆか》しいことだと考えるようなものは、兄弟中で岸本の外には無かった。彼は節子の向いて行こうとする方面に賛成しているばかりでなく、寧《むし》ろその志を励ましたいくらいに思っていた。彼は節子からの依頼で、基督《キリスト》教主義のもとに出来た婦人の寄宿舎の様子を聞き合せたこともある。もし節子が宗教生活に身を投じようとならば、いくらも彼女の行く道はありそうに思えた。岸本に言わせると、彼女の宗教心は、言わば心の芽だ。そのかわり彼女には子供の時分から無理に注《つ》ぎ込まれたような先入主と成ったものが無い。その心の芽が罪過から萌《きざ》して来たところに、岸本は望みを掛けていた。いずれにしても、彼女は今々|直《す》ぐに思うところへ出て行かれるような人ではなかった。「時」というものの力を待つの外はない人であった。
こうした心持から、岸本は節子のために民助兄の上京を待受けた。漸《ようや》く十月の半ば過ぎまで待って、その月の十一日に基隆《キールン》出帆の船に乗るという兄の通知が岸本のところへ届いた。
百三十二
台湾の民助兄は大阪の愛子夫婦の家に一二泊、用事の都合で静岡へも立寄って、その上で上京した。この兄は先《ま》ず谷中の家の方に着いて、それから岸本のところへ尋ねて来ることになった。
節子が動こうとする頃には、岸本もまた動こうとしていた。彼は自分の下宿からさ程遠くない天文台の附近に家を見つけて移り住もうとしていた。下宿の離座敷《はなれ》を借りて三人の子供を養うも、一軒の家を借りて出るのも、半分旅人のような彼の生活には殆んど変りが無かった。彼は唯《ただ》、今の離座敷にあるものをそっくり新規な家の方へ持って行くだけのことであった。丁度|煮焚《にたき
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