持った岸本の家の子孫に自分のような不都合なものの生れて来たことは、祖先を辱《はずかし》める次第であるが、しかし自分の不都合を責めて貰うということが反《かえ》って祖先の徳をあらわすことであろうと思うと書いた。曾《かつ》て遠い異郷に赴《おもむ》こうとする時、失礼な手紙を残して置いて旅に上った自分は、今またこんな手紙を大兄に宛てて送ることを悲しむと書いた。これも自分としては已《や》むを得ないと書いた。種々な心の経験は自分をしてここに到らしめたと書いた。自分は自ら進んで大兄の勘当を受ける心でこの手紙を認《したた》めると書いた。自分の公にする懺悔は自ら鞭《むち》うとうとする心から出たものではあるが、節子がその過《あやま》ちの対象である以上、彼女に迷惑を及ぼさないとは言えないと書いた。しかし、大兄はじめ一時は自分のこの行為《おこない》を迷惑に感ぜらるるとも、ずっと後になって見てあるいは節子のためにも好かったと思われる時があろうかと考えると書いた。では、しばらくお目に掛ることの叶《かな》わぬものが、ここにお別れを告げると書いた。今日までいろいろとお世話に成ったことを忘れる自分ではないと書いた。祖母さんはじめ、皆々様|御機嫌《ごきげん》よくと書いた。義雄大兄、捨吉拝と書いた。猶々《なおなお》、泉太繁等は時々お訪ねすることがあろうと思うが、それだけは御許しを願って置くと書いた。岸本はこれを書いてホッと息を吐《つ》いた。この手紙は谷中宛に郵便で出すことにしたが、これが義雄兄の手に届く時は、しばらく節子にも別れを告げる時だと思った。彼女の修業の上から言っても、岸本はそれを彼女のために好いと考えた。彼は一切を節子の自由に任せようとした。今日まで節子を導いて来た彼女の生命《いのち》は明日も彼女を導くであろうと信じたからで。

        百十七

 谷中《やなか》の家を中心にした親戚《しんせき》との衝突は最早避けがたく思われて来た。それにしても岸本は節子の位置をハッキリさせて置きたいと思い、更に義雄兄に宛《あ》てて前に送ったよりは一層書きにくい手紙を書きに掛った。
 この手紙は大兄に宛てたものではあるが、輝子に持参して貰うためわざと渋谷の方へ送る、と岸本は書き出した。何卒《なにとぞ》輝子に読ませて聞いて頂きたいと書いた。自分は大兄に節子のことをよく知って頂きたいためばかりでなく、輝子にも
前へ 次へ
全377ページ中340ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング