「た。あだかも彼女の神経のすべてが紙の上に吸われて行ったかのように。時とすると岸本は彼女の背後《うしろ》に立って、長い生《は》えさがりの毛や、女らしい特色のある耳などの眼につく彼女の横顔を眺めながら、自分の読ませたいと思うもののどの部分が彼女に読まれているかを覗《のぞ》きに行った。
「いそがしいいそがしいと思いながら矢張お前へ宛てて書きたい。いそがしいいそがしいと思いながら矢張お前のことを思い続ける。自分は我慢して月に二度しかお前を見ないことにしたが、今ではそれを後悔している。お前を見ない二週間は全く待遠しい。昨夜《ゆうべ》は非常に暑苦しかった。おちおち眠られないほどお前を思いつづけた。あの高輪の縁側で、萩の葉の暗い庭に向ったところで、二人あることを楽みながら夜遅くまで互に蚊に喰《く》われて起きていた短夜《みじかよ》の空が、復《ま》た自分を憂鬱《ゆううつ》にする。こうした夏の夜はお前を待つ心で満たされる。自分はもう一晩でもお前を思わずには眠られない……一昨日《おととい》の晩はお前が二度目の母になった夢を見て、お前のお父《とっ》さんから乱打されたと思ったら眼が覚《さ》めた。悲痛な夢の涙の残りがお前の縫って贈ってくれた天鵞絨《びろうど》の枕《まくら》を濡《ぬ》らした……」
 こうしたことを書きつけたところも有った。
「どうだね、すっかり読んで見たかね」
 と言いながら彼が節子の背後《うしろ》に立って見た時は、節子は眼に一ぱい涙をためて仰ぐように彼女の顔を向けた。彼は節子の涙が歓びの涙であるのを知った。その涙が彼女の成熟した頬《ほお》を伝って流れるのを見た。
 その日の午後に、岸本は節子の前に行って立って見た。彼は節子の今の境遇を思いやる心から、彼女に訊《き》いて見た。
「節ちゃん、お前は一人でそうしていて、ほんとに寂しかないのかい」
「一人じゃ無いじゃありませんか――二人じゃ有りませんか」
 この節子の答えは岸本の耳に深く響いた。その時、彼は黒い珠数の掛った自分の胸に思わず彼女を押当てた。
「ああ――可愛い」
 深い溜息《ためいき》でも吐《つ》くように、しかも極《きわ》めて熱心に彼はそれを言った。

        九十一

 二鉢の朝顔を残して置いて節子姉弟はその日の夕方に谷中へ帰って行った。翌朝も、翌々朝も、節子の置いて行った朝顔が岸本の部屋の縁先で咲いた。
「私ね
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