アう導こうとのみ焦心した彼は、その頃に成って、初めて何が園子の心を悦《よろこ》ばせるかを知った。彼は自分の妻もまた、下手《へた》に礼義深く尊敬されるよりは、荒く抱愛されることを願う女の一人であることを知った。
それから岸本の身体は眼を覚《さ》ますように成って行った。髪も眼が覚めた。耳も眼が覚めた。皮膚も眼が覚めた。眼も眼が覚めた。その他身体のあらゆる部分が眼を覚ました。彼は今まで知らなかった自分の妻の傍に居ることを知るように成った。彼が妻の懐《ふところ》に啜泣《すすりなき》しても足りないほどの遣瀬《やるせ》ないこころを持ち、ある時は蕩子《たわれお》戯女《たわれめ》の痴情にも近い多くのあわれさを考えたのもそれは皆、何事《なんに》も知らずによく眠っているような自分の妻の傍に見つけた悲しい孤独から起って来たことであった。岸本の心の毒は実にその孤独に胚胎《はいたい》した。
岸本はずっと昔の子供の時分から好い事でも悪い事でも何事もそれを自分の身に行って見た上でなければ、ほんとうにその意味を悟ることが出来なかった。彼は悄れた節子を見て、取返しのつかないような結果に成ったことを聞いて、初めて羞《は》じることを知ったその自分の心根を羞じた。彼は節子の両親の忿怒《いかり》の前に、自分を持って行って考えて見た。彼も早や四十二歳であった。頭を掻《か》いてきまりの悪い思をすれば、何事も若いに免じて詫《わび》の叶《かな》うような年頃とは違っていた。とても彼は名古屋の方に行っている兄の義雄に、また郷里の方にある嫂《あによめ》に、合せ得られるような顔は無かった。
十五
嵐《あらし》は到頭やって来た。彼自身の部屋をトラピストの修道院に譬《たと》え、彼自身を修道院の内の僧侶《ぼうさん》に譬えた岸本のところへ。しかも半年ばかり前まで節子の姉が妹と一緒に居て割合に賑《にぎや》かに暮した頃には夢にだも岸本の思わなかったような形で。
多くの場合に岸本は女性に冷淡であった。彼が一箇の傍観者として種々《さまざま》な誘惑に対《むか》って来たというのも、それは無理に自分を制《おさ》えようとしたからでもなく、むしろ女性を軽蔑《けいべつ》するような彼の性分から来ていた。一生を通して女性の崇拝家であったような亡《な》くなった甥の太一に比べると、彼は余程《よほど》違った性分に生れついていた。その
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