燗ェをさげた。
「捨さん、お帰りでございましたか。あなたもまあ御無事で」
と静かな調子で言う祖母さんの前へも行って、岸本は挨拶した。そこへ節子も挨拶に出て来た。岸本は唯《ただ》黙って彼女の前にも御辞儀をした。
「これ、一郎も次郎も叔父さんに御辞儀しないか。そんなとこに立っていないで」
と嫂に言われて、兄の二人の子供と繁とは一緒に揃《そろ》って岸本の前に並んだ。子供等は大人同志の挨拶の済むのを待っていたという顔付で。
「へえ、これが次郎ちゃんですか――」と岸本は初めて逢《あ》う頬《ほお》の紅《あか》い子供を見た。
「あなたの御留守に、これが生れましたよ」と嫂は言い添えた。
三年も見ない間に繁の背の延びたことは岸本を驚かした。繁は皆の見ている前で父に逢うことをきまりの悪そうにして、少年らしく膝を掻合《かきあわ》せていた。
「捨吉、まあお茶を一つお上がり」
と奥の部屋の方から呼ぶ義雄兄の前へ行って、岸本は初めて兄と差向いに成った。岸本が国を出る時、名古屋から一寸|別離《わかれ》を告げに来たと言って、神戸の旅館まで訪ねてくれた人に比べると、この兄も何となく老《ふ》けて見えた。
「もうお前も帰りそうなものだと言って、吾家《うち》へ訪ねて来た人なぞもあった。俺《おれ》もね、子供をみんな連れて東京駅まで迎えに行ったが、お前は帰って来ないし……なんでも、大阪までお前の帰って来たことは分ってるが、それから先の行方《いきがた》が知れないなんて言う人もありサ。昨日《きのう》と、一昨日《おととい》と、俺は二度も東京駅まで見に行った」
「そいつは済みませんでした。私は出迎えをお断りするつもりで、わざとお知らせもしませんでした。今々品川からここへやって来たところです」
「捨吉は品川へ着いたんだとサ」兄は家の人達へ聞えるように言って笑った。
制《おさ》えに制えたようなものが家の内の空気を支配していた。子供等の顔までも何となく岸本には改まって見えた。繁は父の帰宅を知らせるために、学校の方に居る泉太の許《もと》へ駈出《かけだ》して行った。
十九
「只今《ただいま》」
という泉太の声が玄関の方でして、やがてこの年長《としうえ》の方の子供は眼を円《まる》くしながら学校通いの短い袴《はかま》のまま父の側《そば》へ御辞儀に来た。
「オオ、泉ちゃんも大きく成りましたね」
義雄
前へ
次へ
全377ページ中205ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング