アうとしていた岸本とは、道頓堀《どうとんぼり》の宿で別れた。一日も早く牧野は東京に入ろうとしていたし、岸本はまた一日でも遅く東京に入ろうとしていた。東京の方に近づけば近づくほど、岸本の足は進まなかった。
「岸本さん、一緒に東京へ入ろうじゃありませんか」
 別れ際《ぎわ》に牧野がそれを言って勧めたが、岸本の方では再会を約して置いて手を分った。何故久し振《ぶり》で東京を見る彼の足がそれほど進まないのか、何故一切の人の出迎えなぞを受けずに独《ひと》りで寂しく東京へ入ろうとしているのか、その彼の心持は七十日の余も帰国の旅を共にした牧野にさえ言えないことであった。
 京都を指《さ》して出掛けて行く時の岸本の側には、最早《もはや》懐《なつか》しい旅の心を比べ合うような連も居なかった。でも岸本はまだ牧野が自分の側にでも居るようにして、二人して一緒に望んで行くように、淀川《よどがわ》一帯の流域とも言うべき地方を汽車の窓から望んで行った。汽車がいくらかずつ勾配《こうばい》のある地勢を登って行くにつれて、次第に遠い山々も容《かたち》を顕《あらわ》した。彼は饑《う》え渇《かわ》いたように車の窓を開け放ち、山城《やましろ》丹波《たんば》地方の連山の眺望《ちょうぼう》を胸一ぱいに自分の身に迎え入れようとして行った。大阪から京都まで乗って行く途中にも、彼は窓から眼を離せなかった。
 京都の宿には、大阪で落合った巴里馴染の画家が岸本より先に着いていた。宿の裏の河原、涼み台、岸に咲く紅《あか》い柘榴《ざくろ》の花、四条の石橋の下の方から奔《はし》り流れて来る鴨川《かもがわ》の水――そこまで行くと、欧羅巴《ヨーロッパ》の戦争も何処《どこ》にあるかと思われるほど静かであった。
 まだ半ば長途の旅行者のような岸本の心は休むということを知らなかった。京都には巴里の下宿で食卓を共にした千村教授がある。帰国後はもう助教授と言わないで教授の位置に進んだ、仏蘭西《フランス》の旅でも格別懇意にした高瀬がある。それらの人達に逢う楽みに加えて、宿にはまたリオンの方に滞在する岡の噂《うわさ》や巴里のシモンヌの噂などの出る画家がある。鴨川の一日は岸本に取って見るもの聞くもの応接にいとまの無いくらいであった。こうして京都に着いた翌日には、酷《ひど》く彼も疲労《つかれ》の出たのを覚えた。彼は東京の方へ帰って行った後の多忙《いそ
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