アろで、僕だって考えますよ。美術家同志というものはあんまり内幕を知り過ぎていて反《かえ》っていけない。妹にまで同じ苦労をさせようとは思いませんからね」
こんな言葉をかわしながら歩いて、往きかう人の可成《かなり》にあるパスツウルの通りで岸本は牧野に別れた。
マロニエの並木の芽も一息に延びそうな、何となく三月らしい日暮方であった。七時の夕飯まではまだ間があった。岸本は牧野の画室で引出された心持や、若い時分の友達のことや、それに連れて一緒に胸に浮んで来るあの勝子のことなぞを思いながら、底暖かい町の空気の中を自分の下宿の方へ帰って行った。
「今だに盛岡のことなぞをよく思い出すところを見ると、矢張《やはり》あの人には女らしい好いところが有ったんだナ」
道すがら岸本はそれを言って見た。盛岡とは勝子の生れた郷里だ。伝馬町とか、西京とか、昔はよく市川や菅などと一緒になる度《たび》にはそんな符牒《ふちょう》が出たものだ。
岸本が岡の落胆を思いやる心は、やがて勝子の結婚を聞いた時の昔の自分の心だ。確かにそれは若い時の彼に取って打撃であった。見知らぬ新婚の夫婦なぞを町で見かけたばかりでも彼の若い心は傷《いた》んだ。しかし勝子の死を聞いたことは、それよりも更に大きな打撃であった。彼女は結婚して一年ばかり経《た》った後、妊娠中のつわりとやらで、まだ女の若いさかりの年頃で亡《な》くなった。その話を聞いた時の彼には、何となくそこいらが黄色く見えて、往来の土まで眼前《めのまえ》で持上るかのようにすら感じられた。暗い月日がそれから続いた。多くの艱難《かんなん》も身に襲って来た。彼は自分の沮喪《そそう》した意気を回復するまでにどれ程の長い月日を要したかを今だによく想い起すことが出来る。
仙台の旅はこうした彼の心を救った。一生の清《すず》しい朝はあの古い静かな東北の都会へ行って始めて明けたような気がした。しかし彼はもう以前の岸本では無かった。それから後になって彼が男女の煩《わずら》いから離れよう離れようとしたのも、自分の方へ近づいて来る女性を避けようとしたのも、そして自分|独《ひと》りに生きようとしたのも――すべては皆一生の中《うち》の最も感じ易《やす》く最も心の柔かな年頃に受けた苦《にが》い愛の経験に根ざしたのであった。
百二十七
「青木君が亡くなってから、もう何年に成る
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