フ青い芽が見られた。
「もうそれでもマロニエの芽が見られるように成りましたね」
 牧野は岸本と並んで歩きながら言った。
「牧野君もよくあの画室に辛抱しましたね。なんだか今年の冬は特別に長いような気がしました」
 と岸本も足早に歩きながら答えた。彼の胸には逢《あ》いに行く岡のことや、自分の旅のことが往来した。

        百二十四

「君等は感心だ。よくそれでもお互に助け合うね」
 と岸本はパスツウルの通りまで歩いて行った頃に牧野の方を見て言った。
「僕のところへ来るモデルもそれを言いましたよ。『日本人は皆貧乏だ、そのかわり感心に助け合う、他《よそ》の国から来てるものには決してそういうことは無い』ッて」
 と牧野が答えて、自分の家の方へでも帰って行くように画室のある横町の方へ岸本を誘って行った。モン・パルナッスの停車場《ステーション》の裏側からその辺の並木のある通りへかけては、岸本に取っても通い慣れた道だ。巴里を囲繞《とりま》く城塞《じょうさい》の方に近いだけ、いくらか場末の感じもするが、それだけまた気が置けない。よく岸本が牧野の許《もと》へ自炊の日本飯を呼ばれに行って、葱《ねぎ》なぞを買いに出た野菜の店もその通りに見える。そこまで行くと画室も近かった。
 岡や小竹はビイルを置いた机を囲みながら牧野の帰りを待っていた。
「や。どうもお使御苦労さま」と小竹は牧野の方を見た。
「牧野、岸本さんも来たから、一緒に一ぱい遣《や》らんか」と岡も飲みさしたコップを前に置いて言った。
「ああ」
 牧野は主人役と女房役とを兼ねたという風で、何か款待顔《もてなしがお》に画室の隅《すみ》でゴトゴト音をさせていた。この光景《ありさま》を見たばかりでも岸本には「巴里村」の気分が浮んで来た。彼は岡と差向いに腰掛けた。岡は言葉も少かった。癖のように力を入れた肩と熱意の溢《あふ》れた額とに物を言わせ、小竹や岸本のためにビイルを注《つ》いだ。あだかも行く人を送るために互に盃《さかずき》を挙《あ》げようとするかのように。
「物の解《わか》った人が側に附いていながらこういう結果に成ったかと思うと、そればかりが僕には残念なんです」
 岡はそれを言った。
「岡君と僕の場合とを比べることも出来ないが――第一、岡君から見ると僕はずっと年も若かったし、境遇も違っていました。でも、互いに心を許したという点だけ
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