ヤめ合うのもその一つである。全く外界に縁故の無いのもその一つである。信じ難いほどの無刺戟《むしげき》もその一つである。到底行い得べくも無いような空想に駆《か》らるるのもその一つである。のみならず岸本は自分で自分の鞭《むち》を背に受けねば成らなかった。心に編笠《あみがさ》を冠る思いをして故国を出て来たものがこの眼に見えない幽囚は寧《むし》ろ当然のことのようにも思われた――孤独も、禁慾も。
百十三
この侘《わび》しい冬籠りの中で、岸本の心はよく自分の父親の方へ帰って行った。しきりに彼は少年の頃に別れた父のことが恋しくなった。異郷の客舎に居て前途の思いが胸に塞《ふさ》がるような折には、彼は部屋の隅《すみ》にある寝台に身を投げ掛けて白いレエスの上敷に顔を埋めることも有った。例のソクラテスの死をあらわした古い額の掛った壁の側で、この世に居ない父の前へ自分を持って行き、父を呼び、そのたましいに祈ろうとさえして見た。あだかも父に別れたままの少年の時のような心をもって。
岸本の父は故国の山間にあって三百年以上も続いた古い歴史を有《も》つ家に生れた人であった。峠一つ越して深い谿谷《たに》に接した隣村《となりむら》には、矢張《やはり》同姓の岸本を名乗る家があった。その家が代々、あるいは代官、あるいは庄屋、あるいは本陣、あるいは問屋の職をつとめたことは、岸本の父の家によく似ていた。その家から岸本の母は嫁《かたづ》いて来た。義雄兄はまた幼少の時《ころ》から貰《もら》われて行ってその母方の家を継いだ。義雄兄の養父――節子から言えば彼女の祖父《おじい》さんは、岸本が母の実の兄にあたっていた。岸本が父母の膝下《ひざもと》を離れ、郷里の家を辞して、東京に遊学する身となったのは漸《ようや》く九歳の時であった。十三歳の時には東京の方に居て父の死を聞いた。彼は父の側に居て暮した月日の短かったばかりでなく、母のいつくしみを受ける間もまた短かった。彼がしみじみ母と一緒に東京で暮して見たのは艱難《かんなん》な青年時代が来た頃であって、しかも僅かに二年ほどしか続かなかった。彼は仙台の方へ行っている間に母の死を聞いた。
これほど岸本は父のことに就《つ》いて幼い時分の記憶しか有たなかった。四十四歳の今になって、もう一度その人の方へ旅の心が帰って行くということすら不思議のように思われた。半生
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