ぐん》が東独逸に入ったという戦報の伝わった日は、岸本は自分の部屋に居て荷造りに日を暮した。彼の下宿では半ば引越しの騒ぎをした。主婦《かみさん》も、主婦の姪《めい》も、彼よりは一日|前《さき》にリモオジュへ向けて発《た》って行った。一部の旅行が許されるように成ったので、彼も下宿の人達に誘われて主婦の郷里の方へ出掛けることにした。これを機会に仏蘭西の田舎をも見ようとした。戦争以来旅行も不自由になった。旅客一人につき三十キロ以上の手荷物は許されなかった。早くやって来るリモオジュの方の寒さを予想して彼は自分の両手に提げられるだけの衣類を鞄《かばん》に入れて持って行こうとした。書籍なぞは皆置捨てる思いをした。蝉《せみ》の声一つ聞かない巴里の町中でも最早何となく秋の空気が通って来ていた。部屋の壁に残った蠅《はえ》は来て旅の鞄に取付いた。
 寂しい夕方が来た。岸本は独りぎりで部屋に残って、ともかくも一年余を遠い旅に暮したことを思い、消息の絶え果てた故国のことを思い、せめて巴里を去る前に短い便《たよ》りなりとも国の方の新聞|宛《あて》に書送ろうとして鞄の側に腰掛けて見ると、無暗《むやみ》と神経は亢奮《こうふん》するばかりで僅に東京の留守宅へ宛てた手紙を書くに止《とど》めてしまった。宵の明星の姿が窓の外の空にあった。時々その一点の星の光を見ようとして窓側《まどぎわ》に立つと、凄《すさま》じい群集の仏蘭西国歌を歌って通る声が街路《まち》の方に起った。夜の九時といえば町々は早《はや》寂しく、燈火の数も減り、饑《う》えた犬の鳴声が何となく彼の耳についた。この都会に残っている人達はどうなるだろう、婦女《おんな》はどんな目に逢うだろう、それを思うと普仏戦争の当時巴里の籠城をした人達は暗い穴蔵のような地下室に隠れて鼠《ねずみ》まで殺して食ったと言われているが、それと同じような日が復た来るだろうかとは、考えたばかりでも恐ろしいことであった。翌朝の早い出発を思って、彼はろくろく眠らなかった。

        九十四

 ドルセエの河岸《かし》の停車場《ステーション》から岸本は汽車で出掛けた。この田舎行には彼は牧野の外に巴里在留の三人の画家をも伴った。戦争は偶然にも巴里のような大きな都会の響からしばらく逃《のが》れ去る機会を彼に与えた。あの石造の街路を軋《きし》る電車と自動車と荷馬車との恐ろしげな響
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