梠繧ノ成って来ていた。お婆さんはまだ達者だった。そのお婆さんがわざわざ年老いた体躯《からだ》を車で運んで来て勧めてくれた縁談もあったが、それも岸本は断った。郷里の方にある岸本の実の姉も心配して姉から言えば亡くなった自分の子息の嫁、岸本から言えば甥《おい》の太一の細君にあたる人を手紙でしきりに勧めて寄《よこ》したが、その縁談も岸本は断った。
「出来ることなら、そのままでいてくれ。何時までもそうした暮しを続けて行ってくれ」
 こういう意味の手紙を一方では岸本も貰わないではなかった。尤《もっと》も、そう言って寄してくれる人に限ってずっと年は若かった。
 独りに成って見て、はじめて岸本は世にもさまざまな境遇にある女の多いことを知るように成った。その中には、尼にも成ろうとする途中にあるのであるが、もしそちらで貰ってくれるなら嫁に行っても可《い》いというような、一度|嫁《かたづ》いて出て来たというまだ若いさかりの年頃の女の人を数えることが出来た。女としての嗜《たしな》みも深く、学問もあって、家庭の人として何一つ欠くることは無いが、あまりに格の高い寺院《おてら》に生れた為、四十近くまで処女《おとめ》で暮して来たというような人を数えることも出来た。こうした人達は、よし居たにしても、今まで岸本には気がつかなかった。独りで居る女の数は、あるいは独りで居る男の数よりも多かろうか、とさえ岸本には思われた。

        四

 姪《めい》の節子は家の方で岸本を待っていた。河岸から岸本の住む町までの間には、横町一つ隔てて幾つかの狭い路地があった。岸本はどうにでも近道を通って家の方へ帰って行くことが出来た。
「子供は?」
 一寸《ちょっと》そこいらを歩き廻って戻って来た時でも、それを家のものに尋ねるのが岸本の癖のように成っていた。
 彼は節子の口から、兄の方の子供が友達に誘われて町へ遊びに行ったとか、弟の方が向いの家で遊んでいるとか、それを聞くまでは安心しなかった。
 節子が岸本の家へ手伝いに来たのは学校を卒業してしばらく経《た》った時からで、丁度その頃は彼女の姉の輝子も岸本の許《ところ》に来ていた。姉妹《きょうだい》二人は一年ばかりも一緒に岸本の子供の世話をして暮した。その夏|他《よそ》へ嫁《かたづ》いて行く輝子を送ってからは、岸本は節子一人を頼りにして、使っている婆やと共にまだ幼い子供
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