Zの心持に対しては、彼は心から感謝しなければ成らなかった。東京から神戸までも、上海までも、香港までも――どうかすると遠く巴里までも追って来た名状しがたい恐怖はその時になっていくらか彼の胸から離れた。そのかわり、兄に手伝って貰って人知れず自分の罪を埋《うず》めるという空恐しさは、自分一人ぎりで心配した時にも勝《まさ》って、何とも言って見ようの無い暗い心持を起させた。兄の手紙には「例の人」とあるだけで、節子の名を書きあらわすことすら避けてある。彼は母や姉と同時に普通《ただ》ならぬ身であるという彼女を想像した。

        五十五

 間もなく岸本は節子からの便《たよ》りを受取った。彼女は郡部にある片田舎《かたいなか》の方へ行ったことを知らせてよこした。
「到頭節ちゃんも出掛けて行ったか――」
 それを言って見て、岸本は以前の食堂の隣から移って来た新規な部屋の内を見廻した。窓が二つあって、プラタアヌの並木の青葉が一方の窓に近く茂っていた。その並木の青葉も岸本が巴里《パリ》に着いたばかりの頃から見ると早や緑も濃く、花とも実ともつかない小さな栗《くり》のイガのようなものが青い毬《まり》を見るように葉蔭から垂下《たれさが》った。一方の窓は丁度|建築物《たてもの》の角にあたって、交叉《こうさ》した町が眼の下に見えた。あの東京浅草の住慣れた二階の外に板囲《いたがこい》の家だの白い障子の窓だのを眺《なが》め暮した岸本の眼には、古い寺院にしても見たいような産科病院の門前にひるがえる仏蘭西《フランス》の三色旗、その病院に対《むか》い合った六層ばかりの建築物、街路の角の珈琲店《コーヒーてん》の暖簾《のれん》なぞが、両側に並木の続いた町の向うに望まれた。あの大きな風呂敷包を背負って毎朝門前を通った噂好《うわさず》きな商家のかみさんのかわりに、そこには薪《まき》ざっぽうのような食麺麭《しょくパン》を擁《かか》えた仏蘭西の婦女《おんな》が窓の下を通った。あの書斎へよく聞えて来た常磐津《ときわず》や長唄の三味線のかわりに、そこにはピアノを復習《さら》う音が高い建築物の上の方から聞えて来た。それが彼の頭の上でした。
 その窓へ行って、岸本は節子から来た手紙を読返した。彼女はお母《っか》さんの上京後、婆やにも暇を出したと書いてよこした。お父さんが名古屋から上京して初めてあの話があったと書いてよこ
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