コ宿の主婦《かみさん》であった。この主婦の言うことも岸本には通じなかった。
客扱いに慣れたらしい主婦は一人の日本人を岸本のところへ連れて来た。その下宿に泊っている留学生で、かねて岸本は番町の友人から名前を聞いて来た人だ。長く外国生活をして来た人らしいことは一目見たばかりで岸本にも直《すぐ》にそれと分った。岸本は巴里へ来て最初に逢ったこの留学生から下宿の主婦の言おうとすることを聞取った。部屋へも案内された。
留学生は食事の時間なぞを岸本に説明して聞かせた後で言った。
「この主婦が君にそう言って下さいッて――『寝衣のままで大変失礼しました、いずれ着物を着更《きか》えてから改めて御挨拶《ごあいさつ》します』ッて。君の着くのが今朝早かったからね」
それを聞いていた主婦は留学生と岸本の顔を見比べて、
「お解《わか》りでございましたか」
という風に、両手を岸本の方へひろげて見せた。
独りで部屋に残って見ると、まだ岸本には船にでも揺られているような長道中の気持が失せなかった。旅慣れない彼に取っては、外国人ばかりの中に混って航海を続けて来たというだけでも一仕事であった。熱帯の光と熱とは彼の想像以上であった。その色彩も夢のようであった。時には彼は自分独りぎめに「海の砂漠《さばく》」という名をつけて形容して見たほど、遠い陸は言うに及ばず、船|一艘《いっそう》、鳥一羽、何一つ彼の眼には映じない広い際涯《はてし》の無い海の上で、その照光と、その寂寞《せきばく》と、その不滅とを味《あじわ》って来たこともあった。印度洋にさしかかる頃から船客はいずれも甲板《かんぱん》の上に出て眠ったが、彼も欄《てすり》近く籐椅子《とういす》を持出して暗い波を流れる青ざめた燐《りん》の光を眺めながら幾晩か眠り難い夜を過したこともあった。船は紅海《こうかい》の入口にあたる仏領ジュプティの港へも寄って石炭を積んで来た。スエズで望んで来た小|亜細亜《アジア》と亜弗利加《アフリカ》の荒原、ポオト・セエドを離れてから初めて眺めた地中海の波、伊太利《イタリー》の南端――こう数えて見ると、遠く旅して来た地方の印象が実に数限りもなく彼の胸に浮んで来た。
五十四
新しい言葉を学ぶことによって、岸本は心の悲哀《かなしみ》を忘れようと志した。同宿の留学生が天文台の近くに住む語学の教師を彼に紹介した。その
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