ス。自分は遠い異郷に去って、激しい自分の運命を哭《こく》したいと思うと書いた。義雄大兄、捨吉拝と書いた。

        五十二

 三十七日の船旅の後で、岸本は仏蘭西マルセエユの港に着いた。
「あのプラタアヌの並木の美しいマルセエユの港で、この葉書を受取って下さるかと思うと愉快です」
 こうした意味の葉書を岸本はその港に着いて読むことが出来た。船の事務長が岸本の名を呼んでその葉書を渡してくれた。多くの仏蘭西人の船客の中でも、便《たよ》りの待遠しいその港で葉書なり手紙なりを受取るものは稀《まれ》であった。岸本が神戸を去る時船まで見送って来た番町の友人がその葉書を西伯利亜《シベリア》経由にして、東京の方から出して置いてくれたからで。
 初めて欧羅巴《ヨーロッパ》の土を踏んだ岸本は、上陸した翌日、マルセエユの港にあるノオトル・ダムの寺院《おてら》を指して崖《がけ》の間の路《みち》を上って行った。その時は一人の旅の道連《みちづれ》があった。コロンボの港(印度《インド》、錫蘭《セーロン》)からポオト・セエドまで同船した日本の絹商で、一度船の中で手を分った人に岸本は復《ま》たその港で一緒に成ったのであった。絹商は倫敦《ロンドン》まで行く人で外国の旅に慣れていた。御蔭《おかげ》と岸本は好い案内者を得た。高い崖に添うて日のあたった路《みち》を上りきると、古い石造の寺院の前へ出た。欧羅巴風な港町の眺望《ちょうぼう》は崖の下の方に展《ひら》けた。
 海は遠く青く光った。その海が地中海だ。ポオト・セエドからマルセエユの港まで乗って来る間で、一日岸本が高い波に遭遇《であ》った地中海だ。眼の下にある黄ばみを帯びた白い崖の土と、新しい草とは、一層その海の色を青く見せた。岸本は自分の乗って来た二本|煙筒《えんとつ》の汽船が波止場近くに碇泊《ていはく》しているのをその高い位置から下瞰《みおろ》して、実にはるばると旅して来たことを思った。
 寺院《おてら》の入口に立つまだ年若な一人の尼僧《あまさん》が岸本に近づいた。遠く東洋の空の方から来た旅人としての彼を見て何か寄附でも求めるらしく鉄鉢《てっぱつ》のかたちに似た器を差出して見せた。その尼僧は仏蘭西人だ。一人の乞食《こじき》が石段のところに腰を掛けていた。その乞食も仏蘭西人だ。岸本は絹商と連立って寺院の入口にある石段を昇って見た。入口の片隅《かた
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