ゥめてこういうものを書かして寄《よこ》したらしい節子の心持も思われて岸本は唯々《ただただ》気の毒でならなかった。
海は早や岸本を呼んでいた。出発前に節子から来た便《たよ》りには、遠く叔父の船に乗るのを見送るという短い別れの言葉が認《したた》めてあった。岸本の胸はこれから彼が出て行こうとする知らない異国の想像で満たされるように成った。彼は神戸へ来た翌日、海岸の方へ歩き廻りに行って、図らず南米行の移民の群を見送ったことを思出した。幾百人かのそれらの移住者の中には「どてら」に脚絆《きゃはん》麻裏穿《あさうらば》きという風俗のものがあり、手鍋《てなべ》を提《さ》げたものがあり、若い労働者の細君らしい人達まで幾人《いくたり》となくその中に混っていたことを思出した。彼はまた、今まで全く気がつかずにいた自分の皮膚の色や髪の毛色のことなどを妙に強く意識するように成った。
出発の日が迫った。いつの間にか新聞記者の一団が岸本の宿屋を見つけて押掛けて来た。
「どうもこういうところに隠れているとは思わなかった」
と記者の一人が岸本を前に置いて、他の記者と顔を見合せて笑った。
この避けがたい混雑の中で、岸本は思いもよらない台湾の兄の来訪を受けた。
「や、どうも丁度好いところへやって来た。船の会社の人がお前の宿屋を教えてくれた」
と民助が言った。
この長兄は台湾の方から上京する途中にあるとのことであった。それを岸本の方でも知らなかった。兄弟は偶然にも幾年振りかで顔を合せることが出来た。
鈴木の兄に比べると、民助はもっと熱い地方の日に焼けて来た。健康そのものとも言いたいこの長兄は身体までもよく動いて、六十歳に近い人とは受取れないほどの若々しさと好い根気とをも有《も》っていた。多年の骨折から漸く得意の時代に入ろうとしている民助の前に、岸本は弟らしく対《むか》い合った。つくづく彼は自分の精神《こころ》の零落を感じた。
四十八
岸本の船に乗るのを見送ろうとして、番町は東京から、赤城《あかぎ》は堺《さかい》の滞在先から、いずれも宿屋へ訪《たず》ねて来た。いよいよ神戸出発の日が来て見ると、二十年振りで御影《みかげ》の方から岸本を見に来た二人の婦人もあった。その一人は夫という人に伴われて来た。岸本がまだ若かった頃《ころ》に、曾《かつ》て東京の麹町《こうじまち》の方の学校で
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