ワだ小学校へ通う時分から、鈴木の兄さんの家に一年、それから田辺さんの家にずっと長いこと書生をしていたが、別にそんな風に考えないでも済んだ。お世話に成る人は皆な親だと思えば可《い》いよ」
「二人ともまだ幼少《ちいそ》うございますから、お出掛になるなら今の中の方が可いかも知れません」
こう言う愛子はあまりに岸本が義雄兄の家族を頼み過ぎていることを匂《にお》わせた。何故、彼が根岸へ相談もなしに二人の子供を義雄兄に托して行くのか。それは愛子にも言えないことであった。
「君ちゃんのことは何分よろしく願います」
と岸本は末の女の児のことを根岸の姪に頼んだ。
高輪には岸本は十日ばかり暮した。節子や子供等と一緒に居ることも早や一日ぎりに成った。出発前の混雑した心持の中で、夕飯前の時を見つけて、岸本は独り屋外《そと》へ歩きに出た。彼の足は近くにある岡の方へ向いた。ずっと以前に卒業した学校の建築物《たてもの》のある方へ向いた。二十二年の月日はそこを出た一人の卒業生を変えたばかりでなく、以前の学校をも変えた。緩慢《なだらか》な地勢に沿うて岡の上の方から学校の表門の方へ弧線を描いている一筋の径《みち》だけは往時《むかし》に変らなかったが、門の側《わき》に住む小使の家の窓は無かった。岸本はその門を入って一筋の径《みち》を上って行って見た。チャペルの方で鳴る鐘を聞きながらよく足立や菅と一緒に通った親しみのある古い講堂はもう無かった。そのかわりに新しい別の建築物があった。その建築物の裏側へ行って見た。そこに旧い記憶のある百日紅《さるすべり》の樹を見つけた。岸本が外国の書籍に親しみ初めたのも、外国の文学や宗教を知り初めたのも、海の外というものを若い心に想像し初めたのも皆その岡の上であった。しばらく彼は新しい講堂の周囲《まわり》を歩き廻った。彼はこの旧い馴染の土を踏んで、別れを告げて行こうとしたばかりではなかった。彼には遠い異郷の客舎の方で書きかけの自伝の一部の稿を継ごうと思う心があった。その辺をよく見て置いて、青年時代の記憶を喚起《よびおこ》して行こうとしたからでもあった。日暮時の谷間《たにあい》の方から起って来る寺の鐘も、往時を思出すものの一つであった。その鐘の音は岸本の足を家の方へ急がせた。節子は夕飯の用意して叔父を待っていた。
四十
夕飯には家のもの一同|別離《わ
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