さ》のように、生長《しとなり》ざかりの袖子《そでこ》は一層《いっそう》いきいきとした健康《けんこう》を恢復《かいふく》した。
「まあ、よかった。」
と言《い》って、あたりを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《みまわ》した時《とき》の袖子《そでこ》は何《なに》がなしに悲《かな》しい思《おも》いに打《う》たれた。その悲《かな》しみは幼《おさな》い日《ひ》に別《わか》れを告《つ》げて行《ゆ》く悲《かな》しみであった。彼女《かのじょ》は最早《もはや》今《いま》までのような眼《め》でもって、近所《きんじょ》の子供達《こどもたち》を見《み》ることも出来《でき》なかった。あの光子《みつこ》さんなぞが黒《くろ》いふさふさした髪《かみ》の毛《け》を振《ふ》って、さも無邪気《むじゃき》に、家《いえ》のまわりを駆《か》け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まわ》っているのを見《み》ると、袖子《そでこ》は自分でも、もう一度《いちど》何《なに》も知《し》らずに眠《ねむ》ってみたいと思《おも》った。
 男《おとこ》と女《おんな》の相違《そうい》が、今《いま》は明《あき》らかに袖子《そでこ》に見《み》えてきた。さものんきそうな兄《にい》さん達《たち》とちがって、彼女《かのじょ》は自分《じぶん》を護《まも》らねばならなかった。大人《おとな》の世界《せかい》のことはすっかり分《わ》かってしまったとは言《い》えないまでも、すくなくもそれを覗《のぞ》いて見《み》た。その心《こころ》から、袖子《そでこ》は言《い》いあらわしがたい驚《おどろ》きをも誘《さそ》われた。
 袖子《そでこ》の母《かあ》さんは、彼女《かのじょ》が生《う》まれると間《ま》もなく激《はげ》しい産後《さんご》の出血《しゅっけつ》で亡《な》くなった人《ひと》だ。その母《かあ》さんが亡《な》くなる時《とき》には、人《ひと》のからだに差《さ》したり引《ひ》いたりする潮《しお》が三|枚《まい》も四|枚《まい》もの母《かあ》さんの単衣《ひとえ》を雫《しずく》のようにした。それほど恐《おそ》ろしい勢《いきお》いで母《かあ》さんから引《ひ》いて行《い》った潮《しお》が――十五|年《ねん》の後《のち》になって――あの母《かあ》さんと生命《せいめい》の取《と》りかえっこをしたような人形娘《にんぎょうむすめ》に差《さ》して来《き》た。空《そら》にある月《つき》が満《み》ちたり欠《か》けたりする度《たび》に、それと呼吸《こきゅう》を合《あ》わせるような、奇蹟《きせき》でない奇蹟《きせき》は、まだ袖子《そでこ》にはよく呑《の》みこめなかった。それが人《ひと》の言《い》うように規則的《きそくてき》に溢《あふ》れて来《こ》ようとは、信《しん》じられもしなかった。故《ゆえ》もない不安《ふあん》はまだ続《つづ》いていて、絶《た》えず彼女《かのじょ》を脅《おびや》かした。袖子《そでこ》は、その心配《しんぱい》から、子供《こども》と大人《おとな》の二つの世界《せかい》の途中《とちゅう》の道端《みちばた》に息《いき》づき震《ふる》えていた。
 子供《こども》の好《す》きなお初《はつ》は相変《あいか》わらず近所《きんじょ》の家《いえ》から金之助《きんのすけ》さんを抱《だ》いて来《き》た。頑是《がんぜ》ない子供《こども》は、以前《いぜん》にもまさる可愛《かわい》げな表情《ひょうじょう》を見《み》せて、袖子《そでこ》の肩《かた》にすがったり、その後《あと》を追《お》ったりした。
「ちゃあちゃん。」
 親《した》しげに呼《よ》ぶ金之助《きんのすけ》さんの声《こえ》に変《か》わりはなかった。しかし袖子《そでこ》はもう以前《いぜん》と同《おな》じようにはこの男《おとこ》の児《こ》を抱《だ》けなかった。



底本:「少年少女日本文学館 第三巻 ふるさと・野菊の墓」講談社
   1987(昭和62)年1月14日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第10刷発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:柳沢成雄
1999年12月22日公開
2005年12月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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