》で、中年《ちゅうねん》で連《つ》れ合《あ》いに死《し》に別《わか》れた人《ひと》にあるように、男《おとこ》の手《て》一つでどうにかこうにか袖子《そでこ》たちを大《おお》きくしてきた。この父《とう》さんは、金之助《きんのすけ》さんを人形扱《にんぎょうあつか》いにする袖子《そでこ》のことを笑《わら》えなかった。なぜかなら、そういう袖子《そでこ》が、実《じつ》は父《とう》さんの人形娘《にんぎょうむすめ》であったからで。父《とう》さんは、袖子《そでこ》のために人形《にんぎょう》までも自分《じぶん》で見立《みた》て、同《おな》じ丸善《まるぜん》の二|階《かい》にあった独逸《ドイツ》出来《でき》の人形《にんぎょう》の中《なか》でも自分《じぶん》の気《き》に入《い》ったようなものを求《もと》めて、それを袖子《そでこ》にあてがった。ちょうど袖子《そでこ》があの人形《にんぎょう》のためにいくつかの小《ちい》さな着物《きもの》を造《つく》って着《き》せたように、父《とう》さんはまた袖子《そでこ》のために自分《じぶん》の好《この》みによったものを選《えら》んで着《き》せていた。
「袖子《そでこ》さんは可哀《かわい》そうです。今《いま》のうちに紅《あか》い派手《はで》なものでも着《き》せなかったら、いつ着《き》せる時《とき》があるんです。」
こんなことを言《い》って袖子《そでこ》を庇護《かば》うようにする婦人《ふじん》の客《きゃく》なぞがないでもなかったが、しかし父《とう》さんは聞《き》き入《い》れなかった。娘《むすめ》の風俗《なり》はなるべく清楚《せいそ》に。その自分《じぶん》の好《この》みから父《とう》さんは割《わ》り出《だ》して、袖子《そでこ》の着《き》る物《もの》でも、持《も》ち物《もの》でも、すべて自分《じぶん》で見立《みた》ててやった。そして、いつまでも自分《じぶん》の人形娘《にんぎょうむすめ》にしておきたかった。いつまでも子供《こども》で、自分《じぶん》の言《い》うなりに、自由《じゆう》になるもののように……
ある朝《あさ》、お初《はつ》は台所《だいどころ》の流《なが》しもとに働《はたら》いていた。そこへ袖子《そでこ》が来《き》て立《た》った。袖子《そでこ》は敷布《しきふ》をかかえたまま物《もの》も言《い》わないで、蒼《あお》ざめた顔《かお》をしていた。
「袖子《そでこ》さん、どうしたの。」
最初《さいしょ》のうちこそお初《はつ》も不思議《ふしぎ》そうにしていたが、袖子《そでこ》から敷布《しきふ》を受《う》け取《と》ってみて、すぐにその意味《いみ》を読《よ》んだ。お初《はつ》は体格《たいかく》も大《おお》きく、力《ちから》もある女《おんな》であったから、袖子《そでこ》の震《ふる》えるからだへうしろから手《て》をかけて、半分《はんぶん》抱《だ》きかかえるように茶《ちゃ》の間《ま》の方《ほう》へ連《つ》れて行《い》った。その部屋《へや》の片隅《かたすみ》に袖子《そでこ》を寝《ね》かした。
「そんなに心配《しんぱい》しないでもいいんですよ。私《わたし》が好《よ》いようにしてあげるから――誰《だれ》でもあることなんだから――今日《きょう》は学校《がっこう》をお休《やす》みなさいね。」
とお初《はつ》は袖子《そでこ》の枕《まくら》もとで言《い》った。
祖母《おばあ》さんもなく、母《かあ》さんもなく、誰《だれ》も言《い》って聞《き》かせるもののないような家庭《かてい》で、生《う》まれて初《はじ》めて袖子《そでこ》の経験《けいけん》するようなことが、思《おも》いがけない時《とき》にやって来《き》た。めったに学校《がっこう》を休《やす》んだことのない娘《むすめ》が、しかも受験前《じゅけんまえ》でいそがしがっている時《とき》であった。三|月《がつ》らしい春《はる》の朝日《あさひ》が茶《ちゃ》の間《ま》の障子《しょうじ》に射《さ》してくる頃《ころ》には、父《とう》さんは袖子《そでこ》を見《み》に来《き》た。その様子《ようす》をお初《はつ》に問《と》いたずねた。
「ええ、すこし……」
とお初《はつ》は曖昧《あいまい》な返事《へんじ》ばかりした。
袖子《そでこ》は物《もの》も言《い》わずに寝苦《ねぐる》しがっていた。そこへ父《とう》さんが心配《しんぱい》して覗《のぞ》きに来《く》る度《たび》に、しまいにはお初《はつ》の方《ほう》でも隠《かく》しきれなかった。
「旦那《だんな》さん、袖子《そでこ》さんのは病気《びょうき》ではありません。」
それを聞《き》くと、父《とう》さんは半信半疑《はんしんはんぎ》のままで、娘《むすめ》の側《そば》を離《はな》れた。日頃《ひごろ》母《かあ》さんの役《やく》まで兼《か》ねて着物《きもの》の世話《せわ》から何《なに》から一切《いっさい》を引《ひ》き受《う》けている父《とう》さんでも、その日《ひ》ばかりは全《まった》く父《とう》さんの畠《はたけ》にないことであった。男親《おとこおや》の悲《かな》しさには、父《とう》さんはそれ以上《いじょう》のことをお初《はつ》に尋《たず》ねることも出来《でき》なかった。
「もう何時《なんじ》だろう。」
と言《い》って父《とう》さんが茶《ちゃ》の間《ま》に掛《か》かっている柱時計《はしらどけい》を見《み》に来《き》た頃《ころ》は、その時計《とけい》の針《はり》が十|時《じ》を指《さ》していた。
「お昼《ひる》には兄《にい》さん達《たち》も帰《かえ》って来《く》るな。」と父《とう》さんは茶《ちゃ》の間《ま》のなかを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《みまわ》して言《い》った。「お初《はつ》、お前《まえ》に頼《たの》んでおくがね、みんな学校《がっこう》から帰《かえ》って来《き》て聞《き》いたら、そう言《い》っておくれ――きょうは父《とう》さんが袖《そで》ちゃんを休《やす》ませたからッて――もしかしたら、すこし頭《あたま》が痛《いた》いからッて。」
父《とう》さんは袖子《そでこ》の兄《にい》さん達《たち》が学校《がっこう》から帰《かえ》って来《く》る場合《ばあい》を予想《よそう》して、娘《むすめ》のためにいろいろ口実《こうじつ》を考《かんが》えた。
昼《ひる》すこし前《まえ》にはもう二人《ふたり》の兄《にい》さんが前後《ぜんご》して威勢《いせい》よく帰《かえ》って来《き》た。一人《ひとり》の兄《にい》さんの方《ほう》は袖子《そでこ》の寝《ね》ているのを見《み》ると黙《だま》っていなかった。
「オイ、どうしたんだい。」
その権幕《けんまく》に恐《おそ》れて、袖子《そでこ》は泣《な》き出《だ》したいばかりになった。そこへお初《はつ》が飛《と》んで来《き》て、いろいろ言《い》い訳《わけ》をしたが、何《なに》も知《し》らない兄《にい》さんは訳《わけ》の分《わ》からないという顔付《かおつ》きで、しきりに袖子《そでこ》を責《せ》めた。
「頭《あたま》が痛《いた》いぐらいで学校《がっこう》を休《やす》むなんて、そんな奴《やつ》があるかい。弱虫《よわむし》め。」
「まあ、そんなひどいことを言《い》って、」とお初《はつ》は兄《にい》さんをなだめるようにした。「袖子《そでこ》さんは私《わたし》が休《やす》ませたんですよ――きょうは私《わたし》が休《やす》ませたんですよ。」
不思議《ふしぎ》な沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。父《とう》さんでさえそれを説《と》き明《あ》かすことが出来《でき》なかった。ただただ父《とう》さんは黙《だま》って、袖子《そでこ》の寝《ね》ている部屋《へや》の外《そと》の廊下《ろうか》を往《い》ったり来《き》たりした。あだかも袖子《そでこ》の子供《こども》の日《ひ》が最早《もはや》終《お》わりを告《つ》げたかのように――いつまでもそう父《とう》さんの人形娘《にんぎょうむすめ》ではいないような、ある待《ま》ち受《う》けた日《ひ》が、とうとう父《とう》さんの眼《め》の前《まえ》へやって来《き》たかのように。
「お初《はつ》、袖《そで》ちゃんのことはお前《まえ》によく頼《たの》んだぜ。」
父《とう》さんはそれだけのことを言《い》いにくそうに言《い》って、また自分《じぶん》の部屋《へや》の方《ほう》へ戻《もど》って行《い》った。こんな悩《なや》ましい、言《い》うに言《い》われぬ一|日《にち》を袖子《そでこ》は床《とこ》の上《うえ》に送《おく》った。夕方《ゆうがた》には多勢《おおぜい》のちいさな子供《こども》の声《こえ》にまじって例《れい》の光子《みつこ》さんの甲高《かんだか》い声《こえ》も家《いえ》の外《そと》に響《ひび》いたが、袖子《そでこ》はそれを寝《ね》ながら聞《き》いていた。庭《にわ》の若草《わかくさ》の芽《め》も一晩《ひとばん》のうちに伸《の》びるような暖《あたた》かい春《はる》の宵《よい》ながらに悲《かな》しい思《おも》いは、ちょうどそのままのように袖子《そでこ》の小《ちい》さな胸《むね》をなやましくした。
翌日《よくじつ》から袖子《そでこ》はお初《はつ》に教《おし》えられたとおりにして、例《れい》のように学校《がっこう》へ出掛《でか》けようとした。その年《とし》の三|月《がつ》に受《う》け損《そこ》なったらまた一|年《ねん》待《ま》たねばならないような、大事《だいじ》な受験《じゅけん》の準備《じゅんび》が彼女《かのじょ》を待《ま》っていた。その時《とき》、お初《はつ》は自分《じぶん》が女《おんな》になった時《とき》のことを言《い》い出《だ》して、
「私《わたし》は十七の時《とき》でしたよ。そんなに自分《じぶん》が遅《おそ》かったものですからね。もっと早《はや》くあなたに話《はな》してあげると好《よ》かった。そのくせ私《わたし》は話《はな》そう話《はな》そうと思《おも》いながら、まだ袖子《そでこ》さんには早《はや》かろうと思《おも》って、今《いま》まで言《い》わずにあったんですよ……つい、自分《じぶん》が遅《おそ》かったものですからね……学校《がっこう》の体操《たいそう》やなんかは、その間《あいだ》、休《やす》んだ方《ほう》がいいんですよ。」
こんな話《はなし》を袖子《そでこ》にして聞《き》かせた。
不安《ふあん》やら、心配《しんぱい》やら、思《おも》い出《だ》したばかりでもきまりのわるく、顔《かお》の紅《あか》くなるような思《おも》いで、袖子《そでこ》は学校《がっこう》への道《みち》を辿《たど》った。この急激《きゅうげき》な変化《へんか》――それを知《し》ってしまえば、心配《しんぱい》もなにもなく、ありふれたことだというこの変化《へんか》を、何《なん》の故《ゆえ》であるのか、何《なん》の為《ため》であるのか、それを袖子《そでこ》は知《し》りたかった。事実上《じじつじょう》の細《こま》かい注意《ちゅうい》を残《のこ》りなくお初《はつ》から教《おし》えられたにしても、こんな時《とき》に母《かあ》さんでも生《い》きていて、その膝《ひざ》に抱《だ》かれたら、としきりに恋《こい》しく思《おも》った。いつものように学校《がっこう》へ行《い》ってみると、袖子《そでこ》はもう以前《いぜん》の自分《じぶん》ではなかった。ことごとに自由《じゆう》を失《うしな》ったようで、あたりが狭《せま》かった。昨日《きのう》までの遊《あそ》びの友達《ともだち》からは遽《にわ》かに遠《とお》のいて、多勢《おおぜい》の友達《ともだち》が先生達《せんせいたち》と縄飛《なわと》びに鞠投《まりな》げに嬉戯《きぎ》するさまを運動場《うんどうじょう》の隅《すみ》にさびしく眺《なが》めつくした。
それから一|週間《しゅうかん》ばかり後《あと》になって、漸《ようや》く袖子《そでこ》はあたりまえのからだに帰《かえ》ることが出来《でき》た。溢《あふ》れて来《く》るものは、すべて清《きよ》い。あだかも春《はる》の雪《ゆき》に濡《ぬ》れて反《かえ》って伸《の》びる力《ちから》を増《ま》す若草《わかく
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