この金之助《きんのすけ》さんは正月生《しょうがつう》まれの二つでも、まだいくらも人《ひと》の言葉《ことば》を知《し》らない。蕾《つぼみ》のようなその脣《くちびる》からは「うまうま」ぐらいしか泄《も》れて来《こ》ない。母親《ははおや》以外《いがい》の親《した》しいものを呼《よ》ぶにも、「ちゃあちゃん」としかまだ言《い》い得《え》なかった。こんな幼《おさな》い子供《こども》が袖子《そでこ》の家《いえ》へ連《つ》れられて来《き》てみると、袖子《そでこ》の父《とう》さんがいる、二人《ふたり》ある兄《にい》さん達《たち》もいる、しかし金之助《きんのすけ》さんはそういう人達《ひとたち》までも「ちゃあちゃん」と言《い》って呼《よ》ぶわけではなかった。やはりこの幼《おさな》い子供《こども》の呼《よ》びかける言葉《ことば》は親《した》しいものに限《かぎ》られていた。もともと金之助《きんのすけ》さんを袖子《そでこ》の家《いえ》へ、初《はじ》めて抱《だ》いて来《き》て見《み》せたのは下女《げじょ》のお初《はつ》で、お初《はつ》の子煩悩《こぼんのう》ときたら、袖子《そでこ》に劣《おと》らなかった。
「ちゃあ
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