伸び支度
島崎藤村
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大概《たいがい》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|階《かい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《みまわ》して
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十四、五になる大概《たいがい》の家《いえ》の娘《むすめ》がそうであるように、袖子《そでこ》もその年頃《としごろ》になってみたら、人形《にんぎょう》のことなぞは次第《しだい》に忘《わす》れたようになった。
人形《にんぎょう》に着《き》せる着物《きもの》だ襦袢《じゅばん》だと言《い》って大騒《おおさわ》ぎした頃《ころ》の袖子《そでこ》は、いくつそのために小《ちい》さな着物《きもの》を造《つく》り、いくつ小《ちい》さな頭巾《ずきん》なぞを造《つく》って、それを幼《おさな》い日《ひ》の楽《たの》しみとしてきたか知《し》れない。町《まち》の玩具屋《おもちゃや》から安物《やすもの》を買《か》って来《き》てすぐに首《くび》のとれたもの、顔《かお》が汚《よご》れ鼻《はな》が欠《か》けするうちにオバケのように気味悪《きみわる》くなって捨《す》ててしまったもの――袖子《そでこ》の古《ふる》い人形《にんぎょう》にもいろいろあった。その中《なか》でも、父《とう》さんに連《つ》れられて震災前《しんさいまえ》の丸善《まるぜん》へ行《い》った時《とき》に買《か》って貰《もら》って来《き》た人形《にんぎょう》は、一番《いちばん》長《なが》くあった。あれは独逸《ドイツ》の方《ほう》から新荷《しんに》が着《つ》いたばかりだという種々《いろいろ》な玩具《おもちゃ》と一緒《いっしょ》に、あの丸善《まるぜん》の二|階《かい》に並《なら》べてあったもので、異国《いこく》の子供《こども》の風俗《なり》ながらに愛《あい》らしく、格安《かくやす》で、しかも丈夫《じょうぶ》に出来《でき》ていた。茶色《ちゃいろ》な髪《かみ》をかぶったような男《おとこ》の児《こ》の人形《にんぎょう》で、それを寝《ね》かせば眼《め》をつぶり、起《お》こせばぱっちりと可愛《かわい》い眼《め》を見開《みひら》いた。袖子《そでこ》があの人形《にんぎょう》に話《はな》しかけるのは、生《い》きている子供《こども》に話《はな》しかけるのとほとんど変《か》わりがないくらいであった。それほどに好《す》きで、抱《だ》き、擁《かか》え、撫《な》で、持《も》ち歩《ある》き、毎日《まいにち》のように着物《きもの》を着《き》せ直《なお》しなどして、あの人形《にんぎょう》のためには小《ちい》さな蒲団《ふとん》や小《ちい》さな枕《まくら》までも造《つく》った。袖子《そでこ》が風邪《かぜ》でも引《ひ》いて学校《がっこう》を休《やす》むような日《ひ》には、彼女《かのじょ》の枕《まくら》もとに足《あし》を投《な》げ出《だ》し、いつでも笑《わら》ったような顔《かお》をしながらお伽話《とぎばなし》の相手《あいて》になっていたのも、あの人形《にんぎょう》だった。
「袖子《そでこ》さん、お遊《あそ》びなさいな。」
と言《い》って、一頃《ひところ》はよく彼女《かのじょ》のところへ遊《あそ》びに通《かよ》って来《き》た近所《きんじょ》の小娘《こむすめ》もある。光子《みつこ》さんといって、幼稚園《ようちえん》へでもあがろうという年頃《としごろ》の小娘《こむすめ》のように、額《ひたい》のところへ髪《かみ》を切《き》りさげている児《こ》だ。袖子《そでこ》の方《ほう》でもよくその光子《みつこ》さんを見《み》に行《い》って、暇《ひま》さえあれば一緒《いっしょ》に折《お》り紙《がみ》を畳《たた》んだり、お手玉《てだま》をついたりして遊《あそ》んだものだ。そういう時《とき》の二人《ふたり》の相手《あいて》は、いつでもあの人形《にんぎょう》だった。そんなに抱愛《ほうあい》の的《まと》であったものが、次第《しだい》に袖子《そでこ》から忘《わす》れられたようになっていった。そればかりでなく、袖子《そでこ》が人形《にんぎょう》のことなぞを以前《いぜん》のように大騒《おおさわ》ぎしなくなった頃《ころ》には、光子《みつこ》さんともそう遊《あそ》ばなくなった。
しかし、袖子《そでこ》はまだ漸《ようや》く高等小学《こうとうしょうがく》の一|学年《がくねん》を終《お》わるか終《お》わらないぐらいの年頃《としごろ》であった。彼女《かのじょ》とても何《なに》かなしにはいられなかった。子供《こども》の好《す》きな袖子《そでこ》は、いつの間《ま》にか近所《きんじょ》の家《いえ》から別《べつ》の子供《こども》
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