一方であったが、それでも商法はかなり手広くやり、先代が始めた上海《シャンハイ》の商人との取引は新七の代までずっと続いていた。
 お三輪は濃い都会の空気の中に、事もなく暮していた日のことをまだ忘れかねている。広い板敷の台所があって、店のものに食わせる昼飯の支度《したく》がしかけてある。番頭や小僧の茶碗《ちゃわん》、箸《はし》なぞも食卓の上に既に置き並べてある。そこは小竹とした暖簾《のれん》のかかっていた店の奥だ。お三輪は女中を相手に、その台所で働いていた。そこへ地震だ。やがて火だ。当時を想うと、新七はじめ、店の奉公人でも、近所の人達でも、自分等の町の界隈《かいわい》が焼けようなぞと思うものは一人もなかったのである。あの時ほどお三輪も自分の弱いことを知ったためしはなかった。新七でも側にいなかったら、どうなったかと思われるくらいだ。彼女はお富達と手をつなぎ合せ、一旦日比谷公園まで逃れようとしたが、火を見ると足も前へ進まなかった。眼は眩《くら》み、年老いたからだは震えた。そしてあの暗い樹のかげで一夜を明そうとした頃は、小竹の店も焼け落ちてしまった。芝公園の方にある休茶屋が、ともかくも一時この人
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