から離れて行って見て分りました。今度の震災は何もかもひっくり返してしまったようなものです――昔からある店の屋台骨でも――旧い暖簾《のれん》でも。上のものは下になるし、下のものは上になるし――もう今までのような店なぞを夢に見ているような時じゃありません」
「上のものが下になって、下のものが上になるなんて、何だかお前さんの言うことは恐ろしい」
 とお三輪は言って見た。
「いえ、そういう時が来ているんですよ」と新七は言葉に力を入れて、「お母さんだっても御覧なさいな、茶の湯や清元がこんな時の役にはそう立ちますまい。そこへ行くと、お力なぞはお母さんのようなたしなみはないにしたところで、何かこう下から頭を持ち上げて来るようなところがあるじゃありませんか。あれにはそういう強いものがありますよ。広瀬さんにしたところで、そうです。あの先生には泥だらけな護謨靴《ゴムぐつ》でも何でもはいて、魚河岸を馳《か》け廻って来るような野蛮なところがあります。お母さんの前ですが、私にはそういうものが欠けています」
「お前さんはちいさい時分から祖母《おばあ》さんに可愛がられて、あの祖母さんに仕込まれて、あたしなぞよりもっ
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