ってくれるので、休ませて欲しいとは言い出せなかった。
「御隠居さん、お坐りになってはいかがです」
 とお力が気をきかせると、早速金太郎は休茶屋の横手へ腰掛台を持ち出して、蓮池の望まれるところに席を造ってくれた。お力はお力で、座蒲団や煙草盆《たばこぼん》なぞをそこへ運んで来た。
「御隠居さんの前ですが、この食堂は当りましたよ」と金太郎は力を入れて言った。「そりゃ日比谷辺へ行って御覧になると分りますが、震災このかた食物屋の出来ましたこと。何々食堂としたようなのが、雨降揚句の筍《たけのこ》のように増えて来ています。しかし、そんな食堂とは食堂がちがいますよ――旦那も、先生も、これには大骨折りでした」
「こんなところに、こんな好い食堂があるかって、皆さんがよくそう仰《おっしゃ》って下さいますよ」とお力も言葉を添えた。
「これも、しょっちゅう御隠居さんのお噂《うわさ》ばかり」と金太郎はちょっとお力の方を見て、「この九月一日には、私共も集りまして、旦那に、先生に、それから私共夫婦と、四人で記念にビイルなぞを抜きました」
「大方そんなことだろうッて、浦和でもお噂していましたよ」とお三輪が言った。
「そ
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