主人はB君が小学校時代からの友達であるという。パノラマのような風光は、この大傾斜から擅《ほしいまま》に望むことが出来た。遠く谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。
 私達は村はずれの田圃道《たんぼみち》を通って、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹《おにぜり》などの毒草が茂っていた。小山の裾《すそ》を選んで、三人とも草の上に足を投出した。そこでB君の友達は提《さ》げて来た焼酎《しょうちゅう》を取出した。この草の上の酒盛の前を、時々若い女の連《つれ》が通った。草刈に行く人達だ。
 B君の友達は思出したように、
「君とここで鉄砲打ちに来て、半日飲んでいたっけナ」
 と言うと、B君も同じように洋行以前のことを思出したらしい調子で、
「もう五年前だ――」
 と答えた。B君は写生帳を取出して、灰色なドロ柳の幹、風に動くそのやわらかい若葉などを写し写し話した。一寸《ちょっと》散歩に出るにも、この画家は写生帳を離さなかった。
 翌日は、私はB君と二人ぎりで、烏帽子ヶ岳の麓《ふもと》を指して出掛けた。私が牧場《まきば》のことを尋ねたら、B君も写生かたがた一緒に行こうと言出したので、到頭私は一晩厄
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