ける」と土地の人は言い合うのが癖だ。男や女が仕事しかけた手を休めて、屋外《そと》へ出て見るとか、空を仰ぐとかする時は、きっと浅間の方に非常に大きな煙の団《かたまり》が望まれる。そういう時だけ火山の麓《ふもと》に住んでいるような心地《こころもち》を起させる。こういうところに住み慣れたものは、平素《ふだん》は、そんなことも忘れ勝ちに暮している。
浅間は大きな爆発の為に崩されたような山で、今いう牙歯山《ぎっぱやま》が往時《むかし》の噴火口の跡であったろうとは、誰しも思うことだ。何か山の形状《かたち》に一定した面白味でもあるかと思って来る旅人は、大概失望する。浅間ばかりでなく、蓼科《たでしな》山脈の方を眺《なが》めても、何の奇も無い山々ばかりだ。唯、面白いのは山の空気だ。昨日出て見た山と、今日出て見た山とは、殆んど毎日のように変っている。
山中生活
理学士の住んでいる家のあたりは、荒町の裏手で、酢屋のKという娘の家の大きな醤油蔵《しょうゆぐら》の窓なぞが見える。その横について荒町の通へ出ると、畳表、鰹節《かつぶし》、茶、雑貨などを商う店々の軒を並べたところに、可成大きな鍛冶屋
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