通には紅白の提灯が往来《ゆきき》の人の顔に映った。その影で、私は鳩屋《はとや》のI、紙店《かみみせ》のKなぞの手を引き合って来るのに逢った。いずれも近所の快活な娘達だ。
十三日の祇園《ぎおん》
十三日には学校でも授業を休んだ。この授業を止む休《やす》まないでは毎時《いつでも》論があって、校長は大抵の場合には休む方針を執り、幹事先生は成るべく休まない方を主張した。が、祇園の休業は毎年の例であった。
近在の娘達は早くから来て町々の角に群がった。戸板や樽《たる》を持出し、毛布《ケット》をひろげ、その上に飲食《のみくい》する物を売り、にわかごしらえの腰掛は張板で間に合わせるような、土地の小商人《こあきんど》はそこにも、ここにもあった。日頃顔を見知った八百屋《やおや》夫婦も、本町から市町の方へ曲ろうとする角のあたりに陣取って青い顔の亭主と肥った内儀《かみさん》とが互に片肌抜《かたはだぬぎ》で、稲荷鮨《いなりずし》を漬《つ》けたり、海苔巻《のりまき》を作ったりした。貧しい家の児が新調の単衣《ひとえ》を着て何か物を配り顔に町を歩いているのも祭の日らしい。
午後に、家のものはB姉妹
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