牛庵主《かぎゅうあんしゅ》は「新|羽衣《はごろも》物語」を書き、紅葉山人は「金色夜叉《こんじきやしゃ》」を書くほどの熟した創作境に達している。鴎外漁史の「そめちがえ」を出されたころに明治二十年代のはじめを顧みると、文壇は実に隔世の感があった。十年の月日は明治の文学者に取って短い時ではなかった。
 おそらく二十年代の末から三十年代のはじめへかけては、明治文学者の生涯の中でも特に動きのある時代で、あの緑雨君が鴎外漁史や幸田露伴氏等との交遊のあったのもあの頃であり、諸先輩が新進作家の作品に対して合評会なぞを思い立ったのもあの時代であったかと思う。
 思えば、明治文学の早い開拓者の多くは、欧羅巴《ヨーロッパ》からの文学を取り入れる上に就いて、何《いず》れも要領の好い人達であった。そこに自国の特色がある。これは徳川時代の文学者が遺産を受けついだからでもあり、支那《しな》文学の長い素養からも来ていると思う。ともあれ、他の当時の文学者の多くがまだ十八世紀の英吉利《イギリス》文学を目標としていた中で、独逸《ドイツ》本国の方から十九世紀にあるものを感知して帰って来たところに鴎外漁史の強味があった。その人
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