は後で学校の校長から聞いた。朝鮮亡命の客でよく足を留めた人もある。旅の書家なぞが困って来れば、相応に旅費を持たせて立たせるという風だ。概して、軍人も、新聞記者も、教育家も、美術家も、皆な同じように迎えらるる傾きがある。
こうした熱心な何もかも同じように受入れようとする傾きは、一方に於いて一種重苦しい空気を形造っている。強《し》いて言えば、地方的単調……その為には全く気質を異にする人でも、同じような話しか出来ないようなところがある。
それから佐久あたりには殊に消極的な勇気に富んでいる人を見かける。ここには極くノンキな人もいるが又非常に理窟《りくつ》ッぽい人もいる。
何故こう信州人は理窟ッぽいだろう、とはよく聞く話だが、一体に人の心が激しいからだと思う。槲《かしわ》の葉が北風に鳴るように、一寸したことにも直《すぐ》に激《げき》し顫《ふる》えるような人がある。それにつけて思出すことは、私が小諸へ来たばかりの時、青年会を起そうという話が町の有志者の間にあった。一同光岳寺の広間に集った時は、盛んな議論が起った。私達の学校のI先生なぞは、若い人達を相手に薄暗くなるまでも火花を散らしたものだ。
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