、離散した多くの家族の可傷《いたま》しい歴史を聞き、振返って本町、荒町の方に町人の繁昌《はんじょう》を望むなら、「時」の歩いた恐るべき足跡を思わずにいられなかろう。しかし他の土地へ行って、頭角を顕《あらわ》すような新しい人物は、大抵教育のある士族の子孫だともいう。
 今、弓を提げて破壊された城址《しろあと》の坂道を上って行く学士も、ある藩の士族だ。校長は、江戸の御家人とかだ。休職の憲兵大尉で、学校の幹事と、漢学の教師とを兼ねている先生は、小諸藩の人だ。学士なぞは十九歳で戦争に出たこともあるとか。
 私はこの古城址《こじょうし》に遊んで、君なぞの思いもよらないような風景を望んだ。それは茂った青葉のかげから、遠く白い山々を望む美しさだ。日本アルプスの谿々《たにだに》の雪は、ここから白壁を望むように見える。
 懐古園内の藤、木蘭《もくれん》、躑躅《つつじ》、牡丹《ぼたん》なぞは一時花と花とが映り合って盛んな香気を発したが、今では最早濃い新緑の香に変って了った。千曲川は天主台の上まで登らなければ見られない。谷の深さは、それだけでも想像されよう。海のような浅間一帯の大傾斜は、その黒ずんだ松の樹の下へ行って、一線に六月の空に横《よこた》わる光景《さま》が見られる。既に君に話した烏帽子山麓の牧場、B君の住む根津村なぞは見えないまでも、そこから松林の向に指すことが出来る。私達の矢場を掩う欅《けやき》、楓《かえで》の緑も、その高い石垣の上から目の下に瞰下《みおろ》すことが出来る。
 境内には見晴しの好い茶屋がある。そこに預けて置いた弓の道具を取出して、私は学士と一緒に苔蒸《こけむ》した石段を下りた。静かな矢場には、学校の仲間以外の顔も見えた。
「そもそも大弓を始めてから明日で一年に成ります」
「一年の御|稽古《けいこ》でも、しばらく休んでいると、まるで当らない。なんだか串談《じょうだん》のようですナ」
「こりゃ驚いた。尺二《しゃくに》ですぜ。しっかり御頼申《おたのもう》しますぜ」
「ボツン」
「そうはいかない――」
 こんな話が、強弓《ごうきゅう》をひく漢学の先生や、体操の教師などの間に起る。理学士は一番弱い弓をひいたが、熱心でよく当った。
 古城址といえば、全く人の住まないところのように君には想像されたろう。私は残った城門の傍《かたわら》にある門番と、園内の茶屋とを君に紹介した。ま
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