言っても実際三百坪は無い、三百坪なくて取立てるのはその割で取る、地主と半々に分けるところは異数な位だ。そこで小作人の苦情が起る。無智な小作人がまた地主に対する態度は、種々なところで人の知らない復讐《ふくしゅう》をする。仮令《たとえ》ば俵の中へ石を入れて目方を重くし、俵へ霧を吹いて目をつけ、又は稲の穂を顧みないで藁を大事にし、その他種々な悪戯《いたずら》をして地主を苦める。こんなことをしたところで、結局「三月四月は食いじまい」だ。尤も、そのうちには麦も取れる。
「しかし私の時には定屋《じょうや》様(地主)がお出《いで》なさると、必《きっ》と一升買って、何がなくとも香の物で一杯上げるという風でした。今年は悴《せがれ》に任しときましたから、彼奴《あいつ》はまたどんな風にするか……私の時には昔からそうでした」
 こう隠居は私に話して笑った。
 そのうちに家の外では「定屋さんになア、来て御くんなんしょって、早く行って来てくれや」という辰さんの声がする。日の光は急に戸口より射し入り、暗い南の明窓《あかりまど》も明るくなった。「ああ、日が射して来た、先刻《さっき》までは雪模様でしたが、こりゃ好い塩梅《あんばい》だ」と復た辰さんが言っていた。
 細帯締た娘は茶を入れて私達の方へ持って来てくれた。炬燵にあたっていた無口な女は、ぷいと台所の方へ行った。
 隠居は小声に成って、
「私も唯《たった》一人ですし、平常《ふだん》は誰も訪ねて来るものが無いんです。年寄ですからねえ……ですから置いてくれというので、ああいうものを引受けて同居さしたところが忰が不服で黙ってあんなものを入れたって言いますのさ」
「飯なぞは炊《た》いてくれるんですか」と私が聞いた。
「それですよ、世間の人はそう思う。ところが私は炊いて貰わない。どうしてそんな事をしようものなら皆な食われて了う……そこは私もなかなか狡《こす》いや。だけれども世間の人はそう言わない。そこがねえ辛《つら》いと言うもんです」
 古い洋傘《こうもり》の毛繻子《けじゅす》の今は炬燵掛と化けたのを叩いて、隠居は掻口説《かきくど》いた。この人の老後の楽みは、三世相《さんぜそう》に基づいて、隣近所の農夫等が吉凶を卜《うらな》うことであった。六三の呪禁《まじない》と言って、身体の痛みを癒《なお》す祈祷《きとう》なぞもする。近所での物識《ものしり》と言われてい
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