心を喜ばせた。私は子供のような物めずらしさを以て人夫達の烈《はげ》しい呼吸《いき》を聞いた。凍った雪の上を疾走して行った時は、どうかすると私は桑畠の中へ橇|諸共《もろとも》ブチマケラレそうな気がした。
「ホウ――ヨウ――」という掛声と共に、雪の上を滑《すべ》る橇の音、人夫達がサクサク雪を踏んで行く音まで私の耳に快感を起させた。川船で通って来た岸の雪景色は私の前に静かに廻転した。
 中野近くで橇を降りた。道路に雪のある間は足も暖かであったが、そのうちに黄ばんだ泥をこねて行くような道に成って、冷く、足の指も萎《しび》れた。親切な飯山の宿で、爪掛《つまかけ》を貰って、それを私は草鞋《わらじ》の先に掛けて穿《はい》て来た。
 一月十四日のことで村々では「ものづくり」というものを祝った。「みずくさ」という木の赤い条《えだ》に、米の粉をまるめて繭《まゆ》の形をつくる。それを神棚に飾りつける。養蚕の前祝だという。
 帰りには、日光の為に眼もまぶしく、雪の反射で悩まされた。その日は千曲川の水も黄緑に濁って見えた。
 豊野から復た汽車で、山の上の方へ戻って行った時は次第に寒さの加わることを感じた。けれども私は薄暗い陰気な雪の中からいくらか明るい空の方へ出て来たような気がして、ホッと息を吐《つ》いた。
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   その十一


     山に住む人々の一

 以前私が飯山からの帰りがけに――雪の道を橇《そり》で帰ったとは反対の側にある新道《しんみち》に添うて――黄ばんだ稲田の続いた静間平《しずまだいら》を通り、ある村はずれの休茶屋に腰掛けたことが有った。その時、私は善光寺の方へでも行く「お寺さんか」と聞かれて意外の問に失笑した事が有った。同行の画家B君は外国仕込の洋服を着、ポケットに写生帳を入れていたが、戯れに「お寺さん」に成り済まして一寸《ちょっと》休茶屋の内儀《おかみ》をまごつかせた。私が笑えば笑う程、余計に内儀は私達を「お寺さん」にして了《しま》って、仮令《たとえ》内幕は世俗の人と同じようでも、それも各自の身に具《そなわ》ったものであることなどを、半ば羨《うらや》み、半ば調戯《からか》うような調子で言った。この内儀の話は、飯山から長野あたりへかけての「お寺さん」の生活の一面を語るものだ。
 私は飯山行の話の中で、土地の人の信心深いことや、あの山間の小都会に二十何ヶ所の
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